今日も銭湯に行ってきたのだが、私は主に冬場の気が向いた日や疲れを感じた日にだけ銭湯に通うことを長らく娯楽の一つにしている。
冬場はだいたい週に1回程度のペースで通っている。
1回400円もする銭湯だが、まあ、それだけの効用を得ることができる。
実利的な面では、2つの効用を期待して銭湯に行っている。
一つは、身体のいくら運動をしても冬場は股関節などの関節が伸びきる感じがしなかったり、筋肉が凝り固まってしまう気がするため、熱い湯船に浸かって柔軟体操や筋肉の揉みほぐしを徹底的にすることで身体のメンテナンスをするためである。
家に多少は広い湯船があっても、さすがに浴槽で本格的に柔軟体操はできないので、そこに銭湯に行く意味があると思うのである。
もう一つは、週に1回ぐらい熱い湯船に長い間入って、毛穴を全開にさせて、その直後にあかすりタオルで時間をかけて徹底的にこすって身体をきれいになった気になるためである。
普段はものぐさなことと家のユニットバスでは手狭なことで、身体を洗うときは手でこするだけのことが多く、数日に1度しか垢すりタオルを使わないからほおっておくと垢がたまるような気がするのである。
したがって、関節や筋肉が硬直しにくく、毛穴が開きやすい夏場はほとんど行かない。
ところで、銭湯では実利面以外にも意外な心理的効用を得ることができる。
まずは、銭湯という独特の空間で得られるリラクゼーション効果が挙げられるが、これはなかなか得がたいものがある。
ところで私の住む江古田には3軒もの銭湯があり、銭湯の客の半分は家に風呂のなさそうな若者だが、半分はおっさんばかりである。
おっさんの家に風呂が無いとは考えづらいので、多分家族は家でシャワー、おっさんは銭湯でリラックスというパターンなのだろう。
義務感にとらわれず、行きたい時にたまにわざわざ銭湯に出向くという行為によって得られる非日常性というのも大きい。
温泉には湯治や温泉街の雰囲気を味わう目的で行くというのもあるだろうが、広い浴槽に浸かるという行為そのものにおいては。銭湯やサウナも温泉にいるのと何ら変わりのない非日常性を味わえると思うのである。
また、お金を出して入るわけだから、家でいるときより時間をかけて徹底的に洗うことによって「きれいになった」という気持ちに浸ったり、サウナで多くの汗を流すことによって「健康になった」「やせた」という気持ちに浸ったりするエステ的な効果も、温泉やサウナだけではなく銭湯からも得ることができる。
温泉に1日2日滞在しても何らの健康上の効用があるとはとても思えず、サウナでいくら汗を流しても健康的に効果があるとはほとんど思えないので、実際面で健康上における対費用効果は薄いと思うのだが、どうせ効果がほとんどないのなら安い銭湯に行くのが最も安くエステ的な満足を得られるというものである。
そして、銭湯から家に帰って飲むビールがものすごく美味いのだが、これが最大の効用かもしれない。