GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

三位一体改革の教育予算について

文部科学省官僚や森前首相をはじめとする文教族と知事会など地方側との教育予算綱引きが強い様相を呈しているようである。

 

ところで、私は、国家が行わなければならない最も基本的な仕事は、弘兼憲史氏の請け売りだけれども、「外交」「国防」「教育」「経済政策」だと思っていて、ここに教育が絡んでいることから、この件については、はじめは「今回はもしかしたら珍しく中央官僚側のほうが筋が通っているのかな?」と思って考えてみたのだが、良く考えてみたらやはりそうではなく、梶原県知事会長(岐阜県知事)ら知事会側の主張のほうが筋が通っていると思うにいたった。

梶原氏の主張の中に、文部科学省が全国に画一的な予算の使い方や教育方法を押しつけるより、各地方がさまざまな教育の予算の使い方や方法を競争しあったほうが教育現場の質が上がるというような内容の項目があったが、この一点だけで勝負ありという気がした。

 

官僚が「教育予算が削られるかもしれないから危機的だ」などと言ったところで意に反すことは無い。

競争原理が働けば予算の使い方もより望ましい方向に行くはずだから。

また、公立学校の凋落が叫ばれて久しいが、公立学校も塾間の競争のような市場原理の競争にさらすことが何よりも全体の質を底上げすることにつながると思う。

文部科学省の官僚の独善に従うことが教育の底上げにつながるとは間違っても思えない。

文部科学官僚によって推し進められた「ゆとり教育」がいい例で、一地方が実験的にすれば被害も少なかったものを、結局、あれは塾に通う生徒の数を増やしたようなものである。

 

橘玲氏は公立学校には私立学校や塾と違って「退学(退塾)」というシステムがないに等しいことが公立の義務教育を疲弊させていることにつながっていると指摘しており、私もそれに強く賛同するのだが、ここは思い切って、「どうしても学校に適合できず犯罪を起こしかねない不良生徒を一挙に掃き溜めのような学校に集めて、勉強よりも何よりもまずは社会常識を守ることを教える学校」を作るぐらいの独創的なことをやって欲しいものである。

 

習熟度別のクラス編成とそうでないクラス編成のどちらが良い成績になるかといった実験もバンバンとするべきである。

「差別だ」などといって、左派の方々が真っ先に反対しそうだが、問題児には勉強よりも先に教えることがいくらでもあるだろうし、一地方ぐらいそういう実験をやってみれば良いのである。

 

ちなみに私の通っていた高校では多少は習熟度別にクラスが分かれていたのにも関わらず、英語と数学の授業には途中からほとんどついていけなくなってしまったので、数学はあきらめ、英語は入試直前に一人で勉強したのなんともいえないのだが、私は習熟度別に分けたほうが良いと思う。

 

三位一体…