GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

北オセチアの事件からイスラム教からの改宗の難しさについて考えたこと

世界史上、キリスト教や他の宗教からのイスラム教への改宗はあっても、イスラム教からキリスト教や他の宗教への改宗はほとんど例がなく、唯一と言って良い例は、学校占拠事件で先日350名以上の犠牲者を出したロシアの北オセチア共和国でのキリスト教改宗ぐらいなものだということをどこかで読んだことがある。

しかし、それとて、ロシア人によって改宗させられただけだという。

なお、レコンキスタ後のスペインはそうではないのかなと思うが、それにはここでは触れないでおく。

世のイスラム教徒は増え続ける一方である。

 

イスラム教からの改宗はこのように少ないのは、イスラム教の求心力が強烈であるゆえなのか、そもそもイスラム教が他の宗教への改宗を認めていない宗教だからなのかはわからない。

ただ、イスラム教からキリスト教に改宗した北オセチア共和国人は、隣接するイスラム教のチェチェン共和国やイングーシ共和国の人間からは、「北オセチア人だったら、子供でも誰でも殺して構わない」という共通認識が周辺地域にあったからあのような残忍な事件が起きたというから怖いものである。

イスラム教には残忍で怖い部分があるよな~」と思ってしまう。

 

まあ、それは近代民主主義国家にいる者としてそう思うだけで、そもそも、近代民主主義の考え方は少し前に生まれた考え方に過ぎず、むしろ、人間の歴史は残虐そのもののような歴史なので、一概にそう言ってはいけないのかもしれないので断っておくが、「俺はそう思う」ってだけのことである。

 

サンクトペテルブルク