GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

人の自慢話やキラキラは苦にならない

「人の自慢話を聞くのが嫌だ」という話を目にすることがある。

他人がSNSでキラキラしているのを見るのが苦痛だという話も散見する。

俺は人の自慢話を聞くことに関しては、それがあまりにしつこかったり、それが相手を貶めるものでなければ苦にならない。

 

ただし、海外ではうんざりすることが多い。

海外で特にイラっとした記憶がいくつかあるのだが、これらはしつこい上に相手を貶めるものだった。

ロッコと中国に行った時に、ガイドが日本や日本人を見下すような形で延々と自慢話をしてきたときにイラっとしたことがあり、また、とある発展途上国であまり見た目の良くない男に「俺は日本人の女を何人もひっかけた」「日本の女は軽い」と、聞いてもいないのに勝手にジゴロ自慢をされたときなんかはかなりイラっとした。

文化の違いというか、日本人から見たら「押しが強すぎだろ」と感じることが多い海外では自慢話を苦痛に思うことがあるが、基本的に何事も謙遜する日本人相手にそのように感じることは滅多にない。

 

妻も内容によっては学ぶことがとても多かったりするので人の武勇伝にはプラスの印象を持つことが結果的に多いと述べている。

相手が「是非とも聞いて欲しい!」と思って話す自慢話を聞いて「すごいじゃん」「すごいっすね~」と心を込めて言えば相手は心地良くなるし、相手が心地良くなるとこちらも気分が良いし、相手を褒めたところでこちらは何も損をしない。

 

SNSなどでのキラキラに関しては、例えば、エクストリームなアクティビティをこれでもかと楽しむドバイの皇太子の超キラキラなインスタグラムを見ても俺は全くうらやましく思わない。

自分自身が自分が行きたいところに行きたいタイミングと頻度で行って、自分がやりたいことを自分がやりたいときにやっていると思っているからだ。

やたらと飛び回っている人を見ても、「体力あるな~」とか「大変だな~」と思うほうが先に来る(そりゃ「ビジネスクラスに乗れば疲労も減るだろうからいいな。でも俺にはそんなことに使うお金はない」とは思うが…)。

 

世の中で自慢話やキラキラが嫌がられることは知っているし、そもそも自慢できることが何もないので自慢話はしないのだけど、キラキラの露出に関してもある程度控えなければならないと思っている。

とはいえ、ブログ以外でSNSをほとんどやっていないので、仮に俺がキラキラを露出する場所は本ブログだけなのだが、本ブログを見て「変なところにばかり出かけて物好きな仙人だな」と思う人はいても、「キラキラした仙人だな」と思う人はあまりいないだろうと思っているし、SNSと違って、本ブログをわざわざ見に行かない限り見る人の目に触れることもない。

 

どうして俺が他人の自慢話やキラキラを不快に思わないかといえば、「自分が『こうありたい』と願っている方向に向かって真正面に進んでいるのは自分だけだから」としか述べようがない。

自分や家族が健康を害したり、恵まれない境遇に置かれたりしているのであれば話は別だが、そうでない限りにおいては、自分だけが自分の理想とする人生に向かって邁進しているはずである。

それなのに他人の人生をうらやましく思うのは、自分が食べたいものを食べているのに他人が食べているものをうらやましいと思うのと似たようなものではないかと思う。

例えば、住まいにしても、立地・面積・外装などに関しては財力の問題があるだろうが、内装やインテリアに関しては自分好みになるように努力をするのは無理な話ではないだろうと思うわけで、「自分の家の内装が自分に一番合っている」「どのホテルの部屋よりも家が一番」と思うような部屋にしないのはどこかおかしいと思う。

「生活感がある家が嫌」と思うなら生活感がない家を目指せば良いだけの話である。

子供がいても、子供が小さい時はともかく、その時期を過ぎたら子供部屋以外の空間をそのようにすることはできるだろうと思う(まあ、俺も子供の頃は家の壁に落書きをしていたものだが…)。

「腕っぷしが強いほうがいざというときにビビらずに済むな」と思ったので大学時代にキックボクシングをやって、「相手が刃物でも持っていない限りは大丈夫だろ…」と思えるようになったのだが、こうした目標設定をするかどうかは個々の志向次第であろう。

 

何かの道で成功した人、体力がある人、頭が良い人、我慢強い人、使い切れないほどのお金を持っている人などが持つその特性はうらやましいと思うことはあるが、その特性をうらやましいなあと思うだけで、その人の全てがうらやましいと思うことはまずない。

自分が何かの道で成功をした人と同じように精進できるかといえばそう思わないわけで、「精進したから成功したんだな~大したものだ」と思うだけである。

見た目に関しては、俺は自分の見た目がイケてるとは思わないのだけど、逆にイケている人はそれはそれで苦労が多いだろうなと思うので現状で十分だと思っている。

もちろん、イケてなさすぎる人の苦労はその比ではないだろうとも思うのだが…。

 

少し前に経済評論家の山崎元氏がご自身のnoteに幸福の決定要素について「人の幸福感は殆ど100%が『自分が承認されている感覚』(『自己承認感』としておこう)で出来ている。そう考えざるを得ない。」と述べているのだが、俺は「えっ!山崎さんってこんなこと考えての~。一見そのように見えなくても有名人というのは自己顕示欲が強いんだな~」と驚いた。

俺は他人からの承認欲求や貢献感が幸福を決める決定的な要素とは思わないので、人から承認されなくてもそんなに気にならないし、別に人に自慢話をしなくても平気だし、「人のためになれた」という貢献感による脳内ドーパミンを出さなくても幸せでいることができる。

妻は人と接する時に徹底的に聞き役に回り、聞かれない限りは自分の話をしないタイプだが、人に質問するのは楽しいけど、別に人に自分のことを知ってもらわなくても平気だと言うほどに承認欲求が低い。

母も塀の内側にあって誰にも見られることのないバラ園に情熱を注いでいるが、とても幸せそうであり、そこにも承認欲求はない。

要は自律的であることと自己満足こそが大切だと思うのである。

 

確かな自己コントロール感を持って自律的な人生を歩み、そのことに自己満足できていたら、承認欲求は湧かないし、人の自慢話やキラキラも全く苦にならないだろうと思うのである。

 

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西武池袋本店の屋上にある「睡蓮の庭」

 

東京駅前行幸通りの「TOKYO FLOWER CARPET 2023」

 

千葉市の花見川を勝田台から海浜幕張まで歩く。すばらしい道が続く

 

新しくできた幕張豊砂駅。この駅のおかげで最大のイオンモールであるイオンモール幕張新都心に電車で行けるようになった

 

いざ鎌倉。鶴岡八幡宮

 

建長寺で真っ赤な紅葉を発見

 

明月院にて。5月の平日なので混雑していない。色づきはこれぐらいだけど美しい

 

本堂の丸窓

 

別途料金を払って本堂後庭園へ。初めて入った。丸窓を後ろから見る

 

こちらは花菖蒲が見頃。鳥の鳴き声も美しい

 

築地川公園のアナベルアジサイ

 

浜離宮庭園には白い花菖蒲も…。台風2号の影響でこのところは雨の予報が続いたのに連日晴れ間が出てありがたかったけど、明日はさすがに大雨の予報

 

こぼれ種の菜の花が満開

 

鳩さんも大忙し