GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

一人カフェ不適合人間

大富豪のひろゆき氏は日本にいる時にコンビニには行かないし、外出時には水筒を持参してペットボトルの飲料を飲まないそうだが、俺は平民だけどそこまでストイックではない。

ペットボトル飲料はエコでないと思うのでできれば買いたくないが、例えば15km歩くのに重い飲み物を持ち歩くのはしんどいので、喉が渇いた時にはコンビニや「まいばすけっと」や自販機で飲料を調達することが多いし、コンビニでホットコーヒーを買うことも多い。

 

その代わり、真夏以外の季節に一人では滅多にカフェに入らない。

真夏だけは涼む目的でカフェに入ることもあるが、そもそも真夏の暑い日には滅多に外に出ない。

コンビニでスイーツとコーヒーを買って公園のベンチに座って休むことと、カフェで休むこととの違いがほとんどないと思うからカフェに入る理由がない。

特にオープンエアのカフェと公園のベンチの違いはほとんどないと思う。

そもそも天気の良い日にしか外に出かけないし、外にいても辛くない服装で外に出るようにしているから外にいるのを苦痛に感じる頻度が少ない。

真夏だけは外にいるのが苦痛なので室内に逃げ込むことがあるが、それ以外の季節ではそうする理由がないということになる。

また、カフェのコーヒーやスイーツがとても美味しいのはわかるが、俺はコンビニのコーヒーとスイーツで十分に満足できるし、コーヒーはブラックしか飲まないというのもカフェに入る必要がない大きな理由になっていると思う(もちろん、キャラメルフラペチーノなども大好きなのだが、それは真夏のお楽しみ)。

 

世の中には時間をかけてコーヒーを飲む人もいるが、俺はどんなにゆっくり飲んでもコーヒーを飲むのに3分以上の時間をかけることができない。

また、机の上にコーヒーが入ったマグカップを置きっぱなしにして作業している人に憧れるが、俺には飲んでしまわずにいるのが難しい。

飲み物を少しずつ飲むという感覚があまりないので、例えばコンビニで500mlのダイエットコーラを買ったらそれを2分ぐらいで一気に飲んでしまい、その後2時間程度は何も飲まないといった感じが俺にとっては自然なのだが、妻はラクダでも見るかのような視線で俺を見る。

妻はコーヒーを飲む時にやたらと時間をかけて飲むし、しかも一度に少しずつしか飲まない。

しかも俺の辞書には絶対にない、飲み物を残すという行為におよぶこともある。

妻のようなタイプの人間にはカフェのようなスペースが向いていると思うが、俺のようなタイプには向いていない。

 

スイーツを食べる速度に関しても同様で、口の中にゆっくりと含んで味わってもケーキを食べるのに3分以上かけるのは至難の業だ。

そういうわけで、俺がカフェで席に座っても、数分で飲み物と食べ物が無くなってしまってすぐに手持ち無沙汰となる。

 

そして、俺にはカフェの机でするべき作業が何もないのだが、これこそカフェ滞在に向いていない致命的な要素であろう。

PCは家にあるし、図書館で借りた本も重いので家から持ち出すことがない。

本を買う時にはKindle版でしか買わないから基本的にはスマホで読む。

スマホを眺めるなら、電車の中だとか、ベンチに座って見たほうが都合が良いし、カフェに入ってずっとスマホとにらめっこしているのはどうも格好がつかないし、店に対しても申し訳ないなと思ってしまう。

カフェに座ってイヤホンをして動画を閲覧するというのはさらに不自然だし、動画を観るなら家で観ればいいだけの話である。

したがって一人でカフェにいてもすることが何もない。

ドラマとか観てて登場人物が大した用もなくカフェを利用している様子をよく見かけるが、ああいうのは俺にとってはかなりハードルが高い。

 

コーヒーがぶ飲みスイーツ早食い手持ち無沙汰野郎の俺がカフェに向いてないのはこれまで述べた通りだが、そもそも店員とコミュニケーションを取るのがかなり億劫だし、2人以上が待つ列に並ぶのは病的なまでに嫌だし、心理的パーソナルスペースが広いため、後で隣の席に人が座ってきたらものすごく落ち着かない気持ちになってしまう。

人と一緒なら目の前に話すべき人がいるし、食堂やレストランだったら目の前に食べるべきものがあるから隣に人が座っても追い込まれずに済むが、カフェに一人でいる時に隣に人が座ってきたらかなりの心理的圧迫を感じる。

カフェにはすばらしい内装やしつらえがあり、それはそれは魅力的な空間が演出されていることが多いのだが、この心理的圧迫によってそれらがかなり阻害されてしまう。

また、カフェでは決して安くない対価を支払う必要があるため、余計に苦手意識を持ってしまうのである。

 

カフェの他にバーというものも世の中に存在しているが、身体や心の健康のために飲まないソーバーキュリアスを超えて、そもそも酒を飲むことに何の意義も意味も感じない俺にとって、ジャズライブを聴くという目的でもない限り入る理由がない。

また、オシャレなカフェやバーというのは外から見てるとものすごく魅惑的に見えるが、いったん席に着席してしまうとその席からの光景しか見えなくなってしまい、大抵の場合は遠くから多角度的に眺めたときよりも景色そのものの魅力が落ちてしまう。

店は遠くにありて魅惑的なもの…ということである。

 

これは小売店に関してもいえることで、物欲がないから小売店で日用品や消耗品以外のモノを買うことは滅多にないのだが、街や店が賑わっている様子や人がモノを買っている様子を見るのはとても好きである。

そういう意味ではカフェも小売店も俺の感性を満たす舞台装置な役割を十二分に担っているといえる。

毎週末に妻と銀座界隈を散歩する際に、どこか(リンガーハットとかタイ料理屋とか)で昼食を食べて街や公園を歩くということ以外に、何も買わず、カフェにも入らないのにそれなりに楽しめるのはこれらの舞台装置としてのすばらしい機能のおかげなのであって、そういった点ではカフェの存在に対してとても感謝している。

カフェという甘美な装置を一人で利用するのが不適合な自分のことをとても残念には思うが、むしろその存在については強く肯定しているので不適合でも許していただきたい。

 

俺だって、一人で湘南に散歩に行った時とか海辺の素敵なカフェに入ってみたいと思うことが多いのだ。

もちろん、これまで述べたような理由で入ることができないのだけど、人と一緒ならば是非とも入りたいのである。

湘南の海辺でものを食べているとトンビに取られる可能性がかなりあるし…。

 

先週、熱海に行った時の写真です。

 

photos.google.com

 

gooddays.hatenablog.jp

 

前回に湘南の写真を載せた際には不謹慎なので載せなかったのだが、左下の弁当を食べようとした女性2人組の弁当に対してトンビが猛攻撃を仕掛け、女性2人組はその場を立ち去った。その後もトンビは弁当にアタックを続けたが、ヘルメットを被った店の人がやってきてその弁当を片づけた

 

3月8日の浜離宮庭園

 

渋谷へ。行くたびに景観が変わっている。Shibuya Sakura StageのShibuyaタワーが出現している

 


新型コロナ禍の間、人が少なかった竹下通りも外国人が戻って来たこともあって元の姿に戻った