このところ「FIRE卒業」という言葉がトレンドになっているそうだ。
「FIREして仕事に追われる日々から解放されたと思っていたら、24時間やることが何もない日々に飽き、また会社員に戻る」というような文脈で語られることが多いそうだが、そう聞くと「そもそも仕事を辞めたらやることがなくなるって…そういう結果を招いてしまったそれまでの人生のほうがヤバくないか?今から生まれ変わってそうではない自分になる努力をしたほうが良いのではないか?」と思ってしまう。
仕事で忙しくしている日々と、今の俺のように質素ながらも好きなことだけをやってゆっくりと生きる仙人ライフとでは、残っている記憶の量が天と地ほどに違う。
仙人ライフは「忙しくて記憶があまり残っていない」ということが全くなく、日々の細かいことや季節の移ろいの感覚が驚くほどしっかりと記憶に残る。
それは自分の行動が自分自身を満たすために自ら選んでやっていることであり、自律的な行動だからというのと、時間に全く追われていないからだと思う。
作家の橘玲氏はことあるごとに、天職と思える仕事をして、仕事そのものに充実感や社会的意義を見出すことが重要…というようなことを述べられているが、同時に「人的資本」と述べる他者との結びつきも重要だと述べている。
堀江貴文氏を代表とするインフルエンサーのほとんどはこういった価値観を持っておられる。
仕事というのは他者の要求に答えることなので、その価値を他者が決めることなのだが、仕事が重要で、かつ、仕事に必要な人的結びつきや社会的意義がとても重要だと述べているのだと理解している。
俺個人は、他者のニーズを満たす行為には他者に決定権を奪われる面があると思うので、プロフェッショナリズムよりも自己満足を良しとするアマチュアリズムのほうが気楽で自由だと思う。
まあ、橘玲氏は作家だし、日頃の煽り気味な言動からして尋常ではない承認欲求を持っている人物なので、氏の主張を挙げるのは例として極端かもしれないし、インフルエンサーもほぼ全員がそうした人種なのだが、彼らは言論空間では圧倒的な多数派でも、社会全体からしたら相当な少数派になってしまうのだろうと思う。
他者の欲求、すなわち、他者からの承認欲求を追求することに一生懸命になると、自分を奪われがち、かつ、上を見ればキリがなくなるのではなかろうか…と俺は思う。
ただ、そうした「仕事バカ」が世の中を発展させてくれているのは間違いないのでそういった方々には本当に感謝している。
なお、アドラーは「貢献感こそが幸福の源泉」と述べているのだが、俺はこれにも否定的だ。
貢献感は自発的に抱く感情で、そこには見返りを求める感情を伴わないので、貢献感に承認欲求は存在しないはずで、そういう意味では貢献感を持つことは他律より自律寄りといえるのだが、そうは言っても、他者の役に立つことより、自分自身が幸福と思えることに注力するほうが俺にとっては自然に思える。
自分の幸福を追求するのにいちいち常に他者を介在させられるか…と思うのである。
自分を幸福にするために美味いものを食べ、川面に浮かぶゆりかもめを眺め、一人もしくは妻と大好きな紅葉をこれでもかと観に行く、これで完全に自己完結だが、良いではないか。
というわけで、承認欲求も貢献感も幸福のためにはあまり重要ではないと俺個人は思っている。
こうした幸福論については過去に嫌というほど書いているし、それこそ本が書けるほどにいくらでも述べてしまいそうになるのだが、既に長く書いてしまったのでこれぐらいにしておく。
それと、少し訂正するが、さっき「時間に全く追われていない」と述べたのだけど、実は常にやりたいことに追われまくって生きており、暇だと思える時間はほとんどない…。
府中の森公園の紅葉はすごい
紅葉を見に行くのには不謹慎だが、多磨霊園の紅葉はSクラスですな…。カエデの本数もものすごい
武蔵野公園内の野川の紅葉は心を打つ。しかも、カルガモのパラダイス
野川公園もすばらしい
近藤勇生誕の地
神代植物公園植物多様性センターにて
深大寺境内
古都にいるかのような雰囲気
鴨パラダイスかも…
11月28日は酉の市の三の市。数年ぶりに浅草鷲(おおとり)神社へ
最大規模の酉の市だけあって盛り上がりがすごい。3年ぶりの盛り上がりを取り戻していました
浅草寺も3年前と同じ混雑とは言いませんが、むしろ程よい混み具合かと…
白金台の自然教育園は都心のオアシス
毎度おなじみ隅田川のゆりかもちゃん
いざ鎌倉の紅葉は毎年恒例。円覚寺
左側が源実朝の墓(供養塔)。政子の墓のすぐ近くにある
その実朝が暗殺されたのはおなじみの鶴岡八幡宮
源頼朝の墓
大江広元の墓
北条義時の墓とされる法華堂跡
覚園寺。広い境内のほとんどは撮影禁止
今日は六義園へ
そろそろ今年の紅葉も終了かな…と惜しく思う