GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

むしろ世直しのために屋外でマスクを外す勇気

屋内でマスクを外すべきというコンセンサスはまだ形成されていないが、屋外でのマスクについて議論になることが増えてきた。

正直なところ、人が近くにいない屋外でマスクを外してもほとんど感染リスクがないのは明らかで、「私は人に迷惑をかけない協調性がある人間です」ということを証明するためだけにしているようなものである。

俺が蛇蝎のように嫌ってきた東京都医師会ですら「マスクを外せる場面では外した方がいい」「(子供の運動にあたって)マスクを外すよう周囲の大人が声をかけてほしい」と述べるようになった。

湿度と気温が上がる夏に向かってそろそろ外さないともうずっと外すタイミングを逃してしまうだろう。

 

人間とは不思議なもので自分がマスクをして屋外を歩いているとマスクを外している人を見てちょっと不快な気分にすらなるのだが、試しにマスクを外して屋外を歩いてみるとマスクをしている人のことがちょっと間抜けに思えてくる。

屋外でマスクをしている人は「私は人に迷惑をかけない協調性がある人間です」ということを無言で主張しているつもりかもしれないが、マスクをしていない人から見たら「同調圧力に流され、自分の力で考えることを放棄して不快なマスクを着用することを選んでいる人間」としか映らないんだろうなと感じた次第である。

コロナ禍においては見解の違いによるこの種の断絶がずっと埋まらずにいるが、断絶が強すぎるがために屋内や人が密集した屋外でマスクを外して大声で話す人がいたりするのには辟易する。

 

日本人の同調圧力が個々の日本人の幸福度と人生の自由度を著しく下げていることは明らかだが、法で取り締まられてもいないのに人が近くにいない屋外でマスクをするという無意味な行為を他の国がそうしなくなった今もなお続けているのだから末期症状だなと思う。

精神の自由を自ら放棄するかわいそうな国民である。

実際のところ見た目が日本人でない人がマスクをしていない率はものすごく高い。

彼らは目立つのにも関わらず同調圧力を感じていないと取ることもできる。

とはいえ、中には屋内でもマスクをせずに大声で話す猛者がいるからそれはそれで困ったものだと思う。

また、日本人がマスクを外した後でないとインバウンド旅行者を迎えるのは難しいだろうと思う。

 

浜離宮庭園には頻繁に行くのだが、たまたまゴールデンウィークなどを挟んで結構間が空いてしまって、4月21日に行った際にはほぼ全員がマスクをしていたのに、5月11日に行った際には半分以上の人がマスクを外していた。

実に良い傾向である。

なお、4月25日に逗子海岸を歩いた時には9割以上の人がマスクをしていなかった。

開放的であることがコンセンサスとなっている場所ではきちんとそうなるのである。

むしろ湘南の海岸においてはマスクをすることのほうがダサいという雰囲気になっているのかもしれないのだけど…。

ところで、日本の政治家も外国の政治家と会う時には何故かマスクを取っているようだが、彼らの言行不一致は責められるべきである。

 

「嫌われる勇気」ならぬ、「(屋外で)マスクを外す勇気」が求められるのではなかろうかと強く思う今日この頃であり、世直しのために人が過密ではない屋外では勇気を持ってマスクを外そうかと考えている今日この頃である。

なお、顔を出して歩くのが嫌という理由などで積極的にマスクをすることを選択している人のことは尊重したいし、俺自身も冬場と春先は喉の保湿と顔面の保温と花粉症のために積極的にマスクをしたい派である。

 

これまで低スペックスマホAQUOS sense1をがんばって使ってきたが、慢性的なストレージ不足に悩まされて、AQUOS sense 6sに機種変更した。

カメラの低機能ぶりにも悩まされてきたが、バージョン1からバージョン6に変更したので今後の写真はもう少しマシなものになるはず…。

 

4月21日の浜離宮。牡丹が美しい季節。最後の写真以外は以前のスマホの写真

 

カキツバタも…

 

ツツジも藤棚もこの頃は…

 

ほとんど覗くポイントのない庚申堂鴨場を覗き込んでみると…いつも孤高の鷺が集団でいるではないか~。AQUOS sense1のズームで撮影したので画面粗いですが…

 

4月25日の葉山の一式海岸。葉山御用邸周辺には警察がいるのだけど、この日は特に多いなと思ったら、赤坂御用地に入られる26日まで上皇夫妻が滞在中だった

 

長者ヶ崎海岸

 

横須賀市に入って関根海岸。リッチな建物が立ち並びます

 

5月8日の日比谷公園はバラ真っ盛り

 

5月11日の浜離宮庭園AQUOS sense 6sに変えた最初の写真。なんか雰囲気違う?