夏になるとビーチリゾートに憧れがちだ。
俺も20代から30代半ばまでは男友達5人で毎年伊豆白浜の民宿に1泊して海水浴と深夜までの酒盛りを楽しんでいたが、同じ仲間が所有する北軽井沢の別荘に家族ぐるみで泊まらせてもらうようになって白浜に行かなくなったというのもあるのだけど、だんだんと海水浴が辛くなってきていたというのは事実である。
元々夏は海より山派なのだが、その理由は涼しいからということに尽きる。
ビーチのパラソルの下でビールを飲んでいても暑いことには変わりなく、冷房のついた家に居るほうが100倍快適である。
それどころか山のリゾートですら冷房の効いた部屋と比べると快適さで劣ってしまうのが現代社会の味気ないところである。
しかも、ビーチでビールと言っても年々酒が弱くなってビールも1本以上は身体が受けつけなくなってしまっているから残念である。
ビーチの過酷な環境に耐えられるのは30代半ばまでだったということだろう。
今は、ビーチの塩水はおろか、プールのあるホテルに滞在してもプールに入らない。
ジムで泳いでいるからというのもあるが、リゾートのプールに入ってもやることがないし、プールから上がって濡れた格好で過ごすのが嫌、特に腹が冷えるのが嫌というヘタレな理由によるものである。
水に入って心地良い温度と服を着ている時の快適温度は違うわけで、夏という季節は前者に適応しているのだが、それでも濡れることを避けてしまう。
もちろん直射日光も怖いので逃げ回る有り様である。
ビーチやプールは日陰から鑑賞するためのものなのである。
自分が最もキックボクシングが強かったのは30歳頃だったと思うが、学生チャンピオンになった頃の自分と今の自分が1ラウンドだけというルールで試合をしたらおそらく今の自分のほうが勝つのではないかと思い込んでいるほどに運動能力や筋力といった面での衰えは感じていないし、秋~春は30kmぐらいは平気で歩けるが、環境への適応力の低下ぶりは嘆かわしいほどである。
大学の頃は真夏に自転車旅行をする気力と体力があったことが信じられないし、アジアの冷房無しのバックパッカー宿のドミトリーに泊まることが平気だったことも全くをもって信じ難い。
あと、リゾートの大変なところには、行くまでの道のりが遠いってことである。
大枚を叩いて、大変な道のりに耐えて出かけ、その成果として「最高の環境に居て何もしない贅沢な時間」をゲットし、その極上の時間を味わっているはずなのについついスマホやパッドに手が伸び、ネットを閲覧をしてしまって「これでは家にいるのと変わらんではないか~!」と反省することになってしまう。
それでも山ならば蚊を気にしつつも外に居続けることが可能なものの、これが海となると滞在時間の多くを冷房の効いた空間に逃げてしまいがち、端的に言うとホテルの部屋にこもってしまいがちになってしまいがちになる。
もちろん「人間だもの。それで良いではないか…」と開き直ってしまうのではあるが、現代人としての病を深く感じてしまう。
結論的なことを述べると、夏のビーチリゾートの昼は暑いのでたまに外に出る時間以外は快適な室内でネットを見て過ごしがちで、夜になって怪しげな街を散策するのが真の楽しみということになるわけであり、そう考えると国内のビーチリゾートや国内外の閉鎖型の高級リゾートよりも、アジアの街にあるリゾートで過ごすというのが最も楽しい過ごし方なのではなかろうかと思うのである。
そもそも泳がないのならビーチにこだわる必要性もないのだが、やはりビーチを目にすることによる心理的な高揚感はアドレナリンもとい、あなどれんと思う。
早く新型コロナ禍が明けてアジアの猥雑なリゾート地に行きたいものである。
築地大橋の片方の歩道はオリンピックで通れなくなった
築地市場跡はオリンピック中はバスターミナルとして使用されるとあったが、バスが止まっていた
暑くなると浜離宮庭園に散歩に行く頻度も減りがち。カラスさんに挨拶
森を歩くことこそ最大のリラックス法なのだが、夏はこれが難しくなるので、とてもストレスを感じる