本当に安くなっているのかはわからないがAmazonにはAmazon prime dayという年に1度のタイムセールがあり、顧客の購買欲を刺激してくる。
しかし、「最低限のモノしか持たないことが快感」「モノを買う時より捨てる時のほうがずっと快感」「人が何かモノをくれると言われても困る」「何か欲しいモノはあるかと聞かれても何もない」俺にとってはほとんど無意味なイベントだ。
以前ならば備蓄品ぐらいであればセール時に買ったかもしれないが、数年前に「防災備蓄品以外の消耗品のストックの類は最小限しか置かない。必要になった時に調達すれば良い」というふうに考えを改めたものだから備蓄品を買うわけにもいかない。
白米や発芽玄米ですら2kgずつしか買わないありさまで、それらは冷蔵庫で保管している。
昨日は父の日だった。
もちろん妻や母にも感謝しているのだけど、俺がこの世で一番感謝しているのは親父なので、親父には常に感謝して生きているが、親父は俺と同じで特に無欲なタイプの人間だとわかってしまっているせいもあって何も贈っていない。
俺の場合、肉か野菜か果物か冷凍食品、もしくは妻が飲むビールだったら人から貰ってうれしいが、すぐに一気食いしてしまって身体に悪い結果を呼んでしまうスイーツやお菓子だとむしろありがた迷惑に思ってしまう。
調味料や日用の消耗品に関しては使うブランド選定が結構細かいし、備蓄は最小限にとどめる方針でいるので貰っても困る。
また、急に新しい製品を導入することで普段の自分の生活ペースを乱されるのも嫌だから旅先で自分用の土産物は最小限しか買わないようにしている。
他人への土産はもちろん何も買わない。
なお、Tシャツ・靴下・タオルなどといった布製品に関しては実に細かいマイ選定ルールがあるので貰ったら困惑してしまうと思う。
そういうわけで、肉か野菜か果物か冷凍食品かビール以外のモノは何も貰いたくない。
一つぐらい欲しいものがあるだろうと言われると、俺が考え抜いたうえで銘柄指定する電動自転車が思い浮かぶが、14年乗っている今の自転車には愛着があるし、買い替えるほどの必要性を感じていないから買っていないだけで、もし、今の自転車が故障したら喜んで買い替える。
自分が貰ってうれしいものしか人に贈りたくないが、親父は酒も飲まなければ肉も食べない。
肉か酒でも飲み食いできるのであれば贈ることもできるのだが、そういうわけでそれができない。
というか、そもそも東京に住む者が宮崎に住む相手に農作物を贈ってもあまりにもどうしようもない。
こんなことを言いつつ、長野の義母がちょくちょく送ってくれる野菜や果物、義母の手作りのアップルパイなどはいただくととてもありがたいし心遣いをとてもうれしく思う。
もらってばかりで何もお返しをしていないのが心苦しいが、帰省時に何か力仕事でもないかと聞いてできることがあれば手伝うようにしている。
また、妻に対して誕生日プレゼントは何も贈っていないし、俺も「一切何もいらん」と言っているのだが、向こうは毎年何かしら「これは確かにあるとええわな」と思うものをくれるのであるが、その心遣いはうれしく思う。
もちろん何もくれなくてもそれはそれでごく当然としか思わない。
なお、妻もモノを貰うのが好きでないので俺は妻に何も贈っていないのである。
基本的にモノをもらって困惑する感情とうれしく思うこともある感情の自己矛盾について考えると、妻や親父に何も贈っていないことについて「うーむ」と考えてしまうし、「親父には何も贈らなくて良い」と言う俺の意見に妻が困惑しているのだが、やっぱりあれこれ考えた上で何も贈っていない。
なお、義父に対しては気の利いたものを贈っておいてくれたようである。
こういう俺も母に関しては贈り物をしたら喜んでくれるとわかっているので誕生日と母の日には喜んでもらえそうなものを見繕って贈ることにしているし、親父もそれが良いと言っている。
人からモノを贈られても困る無欲な人間にとって人へのプレゼントを考えることは本当に難しい。
【2021年6月23日追記】
とある方から高野フルーツパーラーのゼリー詰め合わせをいただいた。
本文と矛盾するが、めっちゃうれしい。
こうした高級品は一気食いせずにゆっくりと賞味できると思う。
6月17日の浜離宮の空
昨日の夕陽は赤かった
今日の東京駅
夏至の日が晴れるのは珍しい気がする