以前のブログで「本当に好きなこと・楽しいことって何かと聞かれたら、美味しいものを食べることというのは当然だからさておき、知ること・学ぶこと・気づくこと・考えることだとしか言いようがない。」と述べたことがある。
これは確かにそうで、「知ること・学ぶこと・気づくこと・考えること」は最も楽しいことだと思っている。
また、その文章の後に「感じることという言葉も入れたいところだが、結局はこの4つに収斂するのかなと思う。」と書いてあるのだが、今はこの「感じること」という要素が他の4つに勝るとも劣らないほどに大きな要素だと思うようになっている。
そして、この「感じること」という要素を最も純粋に味わえる方法が散歩・散策だと思っている。
「知ること・学ぶこと・気づくこと・考えること」というのは抽象的すぎるし、万人が行うことでもあるので、とても趣味とは言い難いが、散歩・散策は趣味と呼んでも良いかと思っている。
そういう意味では散歩・散策というのは自分にとって最大の趣味だといえる。
頻度や歩行距離や浪費時間から割り出しても相当に比重の大きな趣味である。
初めて散策に行く場所の場合には多少は学びの要素が伴うことがあるものの、俺にとっての散策の目的は基本的には快感の追求のみである。
ひたすら刹那的に形容詞で述べられる快感を追求するために行っているのである。
別の回のブログで「散策では『きれい』『すばらしい』『気持ち良い』といった形容詞以外に思うことがあまりない。」と述べたことがあるのだが、ただひたすら今そこにある快感をむさぼることだけが散策の目的であり、上達するだとか、達成感を得るだとか、後で役に立つだとか、何かのためになるだとかいった、ある意味卑しい要素が潔いほどに何もないのが散策のすばらしいところであり高尚なところである。
「知ること・学ぶこと・気づくこと・考えること」に対しても、以前のブログにおいて「ひたすら娯楽的な要素」と述べてあるのだが、残念ながら散策ほどには純粋な娯楽とはいえない。
なお、多くのリソースを割く旅行中の散策にはどうしても「学び」だとか「何かを得たい」などといったコスパ重視のケチ臭い要素が混ざってくるので、散策ほどに純度の高い娯楽と呼べない面もあるが、楽しさの度合いに関しては旅行中の散策のほうが圧倒的に上であることが多い。
しかし、圧倒的な楽しさという山の後には必ず谷が生じる。
そうした谷を生じさせない適正・適温な娯楽こそが趣味と呼ぶにふさわしいと俺は思っている。
五感を駆使して、緑を感じ、空や水を感じ、鳥の声を聞き、「ああいいなあ…」と感じ入るものの、異国散策ほどまでには心が高ぶらないのだが、それが実に良い。
「ちょっと健康に良い」という副次的な利益を得られてしまうという面だけがいささか不純なのではあるが、散策というのは実に純粋で高尚な趣味だと思って今日も心を無にしてどこそこを歩いている。
豊洲ぐるり公園は俺の散策コースの中でもまさしく「王道」コースだ
心を無にしていてもひたすら気持ちが良い
空を見上げるだけで多くの形容詞が降ってくる
途中で選手村を通るのだが、今現在はあまりにも生気を感じない場所だ
さっきの翌々日、飽きずに同じ道を歩くが全く退屈ではない。遠くないうちに解体される晴海埠頭客船ターミナル
コースは同じでも空は日ごと時間ごとに違う
王道中の王道コースである浜離宮庭園が6月4日から半年弱ぶりに再オープン。6月5日に速攻で訪問。ガクアジサイがしっとりと咲いてます
前からそうだったけど、半年近くも人間が寄りつかないとさらにハシブトカラスさんの楽園に…
これは今日の様子。花菖蒲がきれいな季節
浜離宮庭園に向かう途中に環状2号の築地大橋先地下トンネルの工事の進捗を目視確認するのも楽しみの一つ