長い旅が終わった。
1995年3月23日に上京してから25年後の2020年10月29日のことである。
これまで、47都道府県制覇(年内に2周目を終了予定)だとか、東京→宮崎自転車珍道中だとか、東京都内東西徒歩横断とか、新東京100景のうち区部56景全箇所訪問だとか、23区の主な公園を全て訪問およびレーティングするだとか、どうでもいいことを数回~数十回にかけて行ってきたが、今回、自分の中では最も大きなチャレンジを成し遂げた。
それは、武蔵野線・南武線内に囲まれた647駅全駅の外に立ち、周辺を歩いたという実にくだらない記録である。
647駅は俺が数えた数字だが、その内訳を具体的に述べると、舞浜~市川塩浜~西船橋~西国分寺~府中本町間の武蔵野線とその内側、府中本町~尻手~浜川崎間の南武線および浜川崎・昭和・扇町間の鶴見線とその内側ということになる。
25年の間に数えきれないほどの外出をしてやっと成し遂げた記録である。
記録よりも歩いたルートを25年間に渡って白地図に書き記してきたことのほうが見る人にとっては狂気に映るかもしれないが、いずれはこの日が訪れるだろうと思って東京生活を送ってきた。
記録のために血眼になるということは一切せず、天気の良い日に行く気が出た場所に気ままに出かけるという緩いルールでやってきたのでこんなに長い時間がかかった。
主要な移動手段が自動車で、駅前よりもロードサイドを中心に街が機能している地方都市と違って、東京圏に住む人々の主な移動手段は徒歩と鉄道であるため、東京圏は駅を中心に街が機能しており、よって、鉄道空白地帯というのはほとんどなく、ほとんどの住宅から徒歩で鉄道駅にアクセスできる。
ということは、全ての駅の周辺を歩いて回れば、東京圏という途方もないものを身体感覚で理解できると思ったからというのと、そうやって歩き回る過程がとても楽しいからこのような企てを長年に渡って実行し続けたのである。
もちろん、武蔵野線・南武線の外側へ散策に行くこともあるのだが、都心部にある家から行っても無理のない同心円的な境界であり、東京通勤圏の外周について考えた際に武蔵野線・南武線の内側というのを一つの境界としようと思ったのである。
国道16号を境界にする手もあったが、こちらは広範すぎるのと、やはり鉄道路線を境界にしようと思って、武蔵野線・南武線を採用した。
横浜・町田・八王子・立川・大宮・柏・船橋・千葉のようにこの境界の外にあっても東京圏から至便かつ発展している駅もあるのだが、そういう街は「アド街ック天国」的な基準で何度も歩き回っているし、俺は定点観測という観点をとても大切にしているので、主要な駅だとか気になった箇所に関して新規開拓を後回しにして再訪を重ねてきた。
新規オープン施設を見に行くことにとことんミーハーなのも以前に述べた通りである。
なお、今回の記録には少し前から王手はかかっていた。
扇町駅・西浦和駅・北国分駅・みのり台駅・市川塩浜駅といった「ザ・何の用事もない駅」を断続的にちびちびと訪問し、残った駅は東京モノレールの整備場駅と新整備場駅の2駅を残すのみとなっていた。
そして、10月29日にこの2駅を訪問したということである。
この長い旅が終わった時、多少の達成感はあれど、感慨はなかった。
なんとなくわかっていたことであるが、そうだった。
25年間、この白地図を眺めてはニヤニヤしてきたのに…である。
だから王手がかかっていても急がなかったのだと思う。
人生とはそういうものである。
過程であり今を楽しむことが何よりも大切なのだ。
GOODDAYではなく、GOODDAYSなのである。
まさに25年間の軌跡!
おまけですが、偉業?を達成した日のレポートを以下に記します。
周辺を歩いて実に殺風景なことを確認および理解して次の駅へ向かう
新整備場駅の外に立つ。この時点で偉業達成!おめでとう俺!…という感慨に耽る間もなく、階段が見える場所に向かって歩く
駅にほど近い階段を降ります
階段を降りるとトンネルが!
誰もいないなかトボトボと歩きます。空気が悪くなかったのと、そんなに長くなかったのが救い
トンネルを抜けたところ
車は上へ、人は側道へ枝分かれ
車道の下を歩きます
バスが目に入ってきました
新整備場駅を出て15分弱でしょうか…
羽田空港第1ターミナルに到着!