GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

安倍首相の退陣に際して思ったこと

病気で無念の退陣を表明する安倍晋三首相の会見をずっと見ていた。

体調が悪いなか、時に涙目で感情をこめて会見をした安倍氏に対する質疑応答に際して、マスコミ陣はねぎらいの言葉の一つもかけず、安倍氏に目をやるふうもなく、極めて事務的で、原稿棒読み的で、追求型のしかも退屈な質問を繰り出し続けていたように見受けたが、「記者という職業にはこういう時であっても人としての温かみを持ってはいけないという職業倫理が求められているのだろうか?」と強烈な違和感を覚えた。

記者は緊張していただろうし、真剣勝負の場であったのかもしれないが、どの記者にも人間的な温かみだとか余裕をまるで感じなかった。

 

例えば、アメリカ大統領の退任会見には敬意のない雰囲気はなく、国家元首と報道の両者が共にねぎらいと感謝の意を表し、笑いやユーモアもあり、見る側も温かい気持ちになるようなシーンが演出されていたように思うが、ユーモアがあることや温かみがあることよりもクソ真面目であることが何よりも重んじるこの国において、そういうことはなれ合いであるとされるということなのだろうか。

まあ、仮に数ヵ月後にトランプ氏が敗北して退任するとなった場合に双方から敬意を持った態度が示されず、会場が分断するという絵が思い浮かばなくもないのだが、日本国における憲政史上最長政権の宰相の引き際でこれかと思うと心底情けなくなった。

 

第一次安倍政権が突如として終了した時、当時安倍さんのファンだった俺は無念でしょうがなくて、あと5年ぐらいやって欲しかったと強く思ったし、このブログでもそう述べたのだが、まさか再登板して7年8ヵ月も務められるとは思わなかった。

新型コロナ禍における急な一斉休校に強い衝撃を受けて、3月上旬に「安倍政権のブレっぷりを見て不支持に転じました」というブログを書いたが、この後の新型コロナ禍の世界的な怒涛の展開を見るに、「これは誰がトップを務めても厳しすぎるわ…」と世界中の為政者を心底かわいそうに思った。

 

結果として欧米諸国のように膨大な犠牲者を出さずに済み、結果オーライだったのにも関わらず、星野源さんの「うちで踊ろう」動画やアベノマスクといった些事で足を引っ張られ続けたせいもあるが、そうでなくても安倍政権の打つ手打つ手がピンボケしているように映り、かつ、日本の政治・行政の無力さゆえの無能さが他国と比べて際立っているように映ったため、支持率も下落の一途をたどり、「ツキが無くなってきたし、ケチもついてきたな」と多くの人に思えてきていたタイミングでの退陣だったので、タイミングが悪かったとは思わないし、安倍氏もできるだけ良いタイミングでの辞任を模索していたのだろうと思う。

人間としての安倍氏に魅力を感じるし、河野太郎氏にも同じような魅力を感じるが、仕事師としては俺は一貫して菅義偉氏が際立っていると思い続けてきた。

かつて福田康夫氏が野心を出さずにいて、急に首相に立候補したように、菅氏も長年野心を隠し続けてきたのだが、とうとう立候補の意思を表に出したという。

もし、徹底した仕事師である菅氏が次期政権を率いてくれるのであれば、個人的にはうれしい。

満を持しての登板が期待される河野氏はその次でも遅くはないだろうと思う。

 

ところで、新型コロナ禍において国に対して、「何故に強制的に隔離できない?」「何故にお願いベースの自粛要請しかできない?」「何故にすばやく入金できない?」「何故にFAX?」「何故に迅速な検査体制の拡充ができない?」と思った人は多かったのではないかと思う。

このような日本の国家権力の弱さ・私権の強さ・IT力の低さ・役所や制度の硬直ぶりに唖然として、「もはや国家の体を成していない面があるのではないか?」と衝撃を受けた人も多かったのだろうと思うが、敗戦後の反動GHQの意図その後の惰性によってそういう国家であり続けることを国民が選んできたということを我々は忘れてはいけないと思う。

「現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行し、もって、国民の負託に応えんとする」という使命を掲げて創立した自由民主党が戦後のほとんどの期間において与党として存在していて、かつ、憲法九条の条文が明らかに現実に則していないのにも関わらず、条文の一文字も変更できずにいるのは国民がそうすることを選んでいるからである。

国民の個人情報は政府が無能だからではなく、紐づけしないという意図のもと、あえて省庁間で紐づけをしていないわけであり、マイナンバー制度が整備されても国民が個人情報を政府に紐づけされることを怖れ続けているのでこのざまとなっているのである。

IT化が進んでいないのも無能だからというよりは、わざとそうしないようにしているわけで、わざとそうしないという意思決定をしているのは国民なのである。

紐づけすることを選ばないために、IT化が進まず、データの集積も進まず、脱税が行われ、所得や資産の捕捉が難しいためにピンポイントでの弱者の救済ができず…といった大弊害が起きているとしても国民の多数派は冷淡にそれでいいと思っているのである。

新型コロナ禍対策で台湾・中国・韓国が上手く対応しているのは、プライバシーと合理性・効率性とで後者を選択しているからである。

現在の日本の政治・行政システムにおいては、オードリー・タン氏のような人物が活躍できるようになっていないのである。

なので、今回の新型コロナ禍で日本の政治・行政の無力さゆえの無能さを国民が責めるのは卑怯とすら言えるのではないかと思う。

もちろん、国民の個人情報を国が捕捉することを許可し、それを紐づけてIT化を進めていくことに積極的に賛成している立場の人に関しては現在の国のあり方を批判する権利があると思う。

こうしたことや私権の制限を徹底的に嫌がる左派や左派マスコミの人々には新型コロナ禍における政治・行政の無策ぶりを批判する資格は一切ない。

 

なお、安倍氏退任の会見時において江川紹子氏が「政府が2013年に打ち立てた新IT戦略が上手くいかず、新型コロナ禍において世界の後塵を拝したのは不本意だったかと思いますが、どの辺に原因があったのでしょうか?」というようなことを質問していて、安倍氏も素直に「反省点である」と述べており、全体でこの質問だけが光っていたように思った。

安倍内閣のような強いリーダーシップと両院過半数議席を持った長期政権ですら片づけられないこのような課題が解決するには国民の意識の変化が必要になるのだろうと思う。

 

安倍政権の大きな功績は、日米同盟の深化、世界を俯瞰する外交、安保法制を整備して集団的自衛権の行使を可能にしたこと、特定秘密保護法の成立、内閣人事局の設置(これは官邸官僚の暴走に注意する必要はあるが、政治主導のためには必要)であったかと思う。

どれも実現するために大きな政治エネルギーが必要だった功績であり、強く評価したいと思う。

俺は自分のことを右派と思っていないが、省益追求型官僚や左派が強く反対する法律というのは大抵が必要な法律なのである。

未解決と思われる政治課題について上げたら冗長になるのでここでは挙げない。

なお、リフレ派経済政策についても個人的には支持し続けてきたが、それによって雇用と経済状況が大きく改善したのは良かったものの、だからこそその間に経済構造改革に手を入れて欲しかったのだけど、そこまではいかなかったのが残念だと思うのと、経済についてはもっと時間を置いてでしか評価できないなあとも思う。

 

f:id:gooddays-shumai:20200831150128j:plainグランドプリンスホテル新高輪のプール。暑いのが苦手な俺が外のプールに入るわけがなく、部屋から眺めていただけです…