GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

リアル・ビデオ通話・通話・チャット・メール

「今は誰とも会わないぞ!」と誓っているわけではないのに、新型コロナ禍になってこの暇仙人は暇なのにも関わらずまだ一人の知人とも会っていないと以前に述べたが、本日、やっと義妹と甥っ子たちと会って水族館に出かけて半年以上にわたる無用な記録を終了させた。

くしくも安倍内閣が歴代最長の2799日を更新した日に、クソみたいな俺の記録が潰えたと書くこと自体とても恥ずかしいことである。

わんぱくな甥っ子たちとリアルに接したことで、リアルに人と接するうえでの良いリハビリとなった。

 

長らく人と会っていなかったとはいえ、友人とのLINEチャットでのやり取りは相当頻繁にやっている。

むしろ、お互いが書きたいタイミングで書き、読みたいタイミングで読み、考えて書く時間があるぶん、リアル会話よりもLINEのほうが快適なのではないかとすら思ってしまう。

我ながら危険な考えである。

しかし、「注意をしないといけないな…」と思っていることもある。

確かに、瞬発力に自信がない残念なタイプの俺にとっては多少なりとも考慮時間があったほうが気の利いた回答を繰り出せるという長所がある。

しかし、ついつい自分の脳の中の考えが次の考えをどんどんと呼び込んでしまって、相手の回答がないままに自分の考えを連投しまくって読み手の友人を困惑させているであろうという短所が確かにあるのである。

そして、その短所を強く自覚していながら連投を止められない自分に呆れている。

呆れているのに止められないのだからさらに呆れる。

考えを次々に書くのはブログ上でのみにしたいものである。

このブログはそのために書いているものなのだから…。

 

それにしても、子供の頃にLINEのようなツールが無くて良かったとつくづく思う。

こんなツールがあったら一人で何かを身につけたり、一人で楽しんだりする貴重な時間を奪われてしまって今よりもさらに空疎な人間になってしまうところだったと思う。

でも、歳を重ねるごとに人と共感したり人と楽しい時間を過ごすことよりも、一人や夫婦で楽しい時間を過ごすことにより喜びを見いだすようになっているし、そもそも昔から大して知りもしないような人とワイワイするのが好きではないのだが、「若い頃からLINEでもやっていたらもう少し自分と違う人と共感し合える能力を身につけることができたのかも…」とも思う。

でも、やっぱりなくて良かったと思う。

  

LINEビデオ通話も特定の友人とやっている。

たまに音声が乱れることもさながら、双方ともカメラではなく画面の相手の顔を見るせいで終始目線が合わないままで、逆にカメラを見て話すと相手の顔を確認できないままなのだが、この事実に違和感を覚える。

「おっさん同士で目を合わさなくても良くね?」と思わなくもないが、やはり「人として相手の目を一切見ずに話し続けるってどう考えてもおかしいだろ!」と思うのである。

むしろ、「おっさん同士で顔を見るぐらいなら声だけ=電話でも良くね?」と思わなくもないが、野郎とLINE通話や電話をするのはLINEビデオ通話よりもむしろ違和感というか照れくささを感じるのでLINE通話や電話は誰ともしていない。

 

でも、親とビデオ通話をするのは逆に照れくさいし、親がLINEチャットに素早く応じられるわけがないし、そもそも親はスマホを持っていてもLINEアプリをインストールしていないので、親とは電話かメールで連絡を取っている。

週に1時間は親と電話をするため、無料のLINE通話のほうがコスパがいいのだが、IP電話の通話料金は安く、音質も良いので細かいことは気にしないようにしている。

 

全国的な自粛期間中には「筋トレは家でも結構やれるな…」「森を歩いて鳥の声を聞いて心をリラックスさせる日課はヨガや瞑想に通じるものがあるな…」「サウナや水風呂がなくても平気といえば平気だな…」と思っていたのに、森歩きの日課が夏の暑さで休みがちになっているのに対して、ジムでのトレーニングもヨガもサウナ&水風呂も新型コロナ禍以前と同じように完全復活したのだが、新型コロナ禍が収束して人と自由に会えるようになった後に「人とのコミュニケーションバランスはどう変わるのだろう?」と思っているところである。

 

f:id:gooddays-shumai:20200824200226j:plainやっと夜間は涼しくなってきたので、自転車で竹芝に行って海沿いを散歩