GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

自由人としての幸福と個人投資家業

自由人になると自人格のみの一人称を用いて生きられるようになるし、嫌なヤツと一切関わらなくて良いのだが、このことによる精神衛生面の良さは半端ではない。

「私」「弊社」などといった一人称は一切使わなくて良く、「俺」「僕」「わし」という一人称のみを使って生きられる解放感は目の前にいっぱいに広がる青空のようなものである。

組織や肩書を背負ってないし、組織の意向に一切縛られないし、組織で疎んじられたり組織から外されることへの怖れがなく、大胆な言い方をすれば俺を取り締まることができるのは法律だけである。

 

また、見知らぬ土地に住み着いていて地縁もないため、会釈だけする程度の人を除けば近所に知人は一人もいないので、嫌な人間だとか妬み深い人間は一切の遠慮をせずに完全遮断して生きることができる。

俺には「もしかして妬まれている?」と感じてきた経験が人生において度々あるのだが、妬みを出してくるようなダサい相手には「確かに君と俺を比べたら君が俺を妬むのもわからなくはない。自分が不幸だから人を妬むわけだわな…」としか思わないものの、そういった手合いと一切関わらずに済むということは人生の質を上げるのに著しく資する。

そして、仮に妬み深い人間から実害を被った場合には、相手にするのもバカらしいような相手だったとしても、こちらには背負っている組織がなくて、いくらでも暇があり、資金もそれなりに用意できるので、躊躇なく係争に臨める。

 

生きていればビジネス地縁で繋がっている人間から屈辱的な目に遭わされることはあるだろうし、それでも利害関係があるので関係を遮断するわけにはいかないということもあるだろうが、利害関係のない世界では誰が何と言おうと人と人とは完全対等なので、気に入らない手合いがいれば瞬時に遮断することができ、好きな人とだけ関わって生きることができるのである。

ドラマの「半沢直樹」ではないが、仕事をしていると、関わる人間を自分で取捨選択できないことでクズみたいな人間と関わらざるを得ない人だとか、会社に嫌で仕方ない上司がいる人だとか、会社のやり方にどうしても納得がいかない人だとか、気に入らないヤツが自分より出世して許せない人はいるだろうし、その他にも、近所に嫌な人が住んでいて心底困っている人だとか、子供のクラスメイトの親が苦手でしょうがないという人もいるだろうから、そのような人からすれば俺の置かれている状況は相当に恵まれていると思う。

また、利害関係が全くない状況で自然に繋がっている人間関係こそがその人にとって本当に必要な人間関係であるとも思う。

…と、そういう状況にあるので、俺はトラッドなジャケパンは複数所有しているものの、ビジネスとさよならしているため、礼服以外のスーツは全て捨ててしまっている。

そして、東京という土地において平日昼間というゴールデンタイムを好きなように使えるアドバンテージが半端ではないということについても言及しておく。

 

俺が今の自分自身の境遇に満足しているし、とても幸福だということについては端々に触れつつも、「読み手は必ずしも虫の居所が良い時にこの文章を読んでいるわけではなかろう…」と考えてその記述量は控えているつもりである。

また、書こうと思えば本が書けるぐらいの量は書けるのだが、「セミリタイア生活」をテーマとしたブログを書くことは他の敏腕ブロガーさん達にお任せしたいと思っている。

  

俺自身の境遇について、「極めて健康で、金銭的に困っていなくて、ローンも完済していて、毎日好きな時間に起きて好きな時間に寝て、昼間っからジムにサウナと水風呂に入りに行って、いつでも昼寝できて、一日中好きなことをしていられて、効率だとか急ぐことだとか満員電車と無縁で、自分と同じぐらいかそれ以上に大切な妻がいて、夫婦仲は極めて良くて、双方の両親や兄弟も元気で、迷惑をかける親戚もおらず、好きな都市の一番気に入った場所にある超お気に入りの部屋に住んでいて…」というようなことを書いてしまうと快く感じない読み手がいるかもしれない。

また、人前でこんなことを発言したら不快感を与えかねないので、人前ではほどほどに謙遜するようにしている。

 

こんなふうにわがままかつ、怖い物なしの心意気で生きているものだから、うちのご主人から「嫌なことに対する堪え性がなくなった」と言われることがたまにある。

俺と同じく無敵状態にある暴走老人の気持ちが少しわかってしまうのだが、間違っても暴走中年にならぬよう注意せねばと思う。

 

…と書いたが、もちろん俺にもストレスはある。

それは個人投資家をやっている以上、資金運用が上手く行っていない時に溜まるストレスは相当なものであるということである。

ある程度は持ち直したのではあるが、今年の3月の相場変動によって受けた金銭的・心理的なダメージはかなりのものだった。

なので、もし、これまで述べたような俺の境遇をズルいと思うのであれば、俺と同じくリスクを取って専業の個人投資家になれば良いだけの話である。

マチュアリズム志向が強すぎる俺でもそこに関してだけはプロフェッショナルとして自分と妻を一生飢えさせることのないようにしなくてはならないのである。

…といいつつ、投資のことについて本ブログにあまり書かないのは、シンプルな方法を取っているからということと、自己責任とは言いつつも俺の記述がどなたかに影響を与えてしまってその人が金銭的に損をするのが嫌だからである。

 

そもそも我が家は旅行と食事(年に20万円分以上の飲食店株主優待券が送られて来るのだが…)以外でお金を使うようなことがあまり好きではなく、物欲も驚くほどないので、かなりお金を使わない。

なお、うちのご主人は普通に会社員として仕事をしているため、うちのご主人の稼ぎ我が家の全支出とでは前者のほうがわずかに大きい。

ということで、実は俺の投資利益がなくても家計貯蓄が増えていく家計構造になっている。

うちのご主人に「会社はいつ辞めてもいいぞ!」とは常々言っているのだけど、嫌ならいつでも辞められるジョブ型の仕事をしていることもあって、仕事がほとんど苦になっていないようだし、テレワークで5ヵ月間出勤していないが、以前より残業ゼロで会社も超ホワイトだし、人間模様も含めて社会人生活を楽しんでいるようである。

また、現役世代として勤労を通じて社会に参加しているということに意義を見出しているようなので、俺のことをうらやましいと思うふうでもない。

金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」ではないのだけど、最も近しい間柄でありながら、自由人になった俺と考えが違っているが、それをお互いに尊重している。

世の中には将来現役というプロフェッショナル志向の信念を持っている立派な方もいるわけで人生観は人それぞれである。

もちろん、「俺のほうが多くの家事を担当しなきゃな…」と思うのでできるだけ進んで家事をやるようにしている。

なお、本ブログで妻を「うちのご主人」と呼んでいる理由については、過去に述べた通り、夫を「主人」と呼ぶ世の中の風潮に明確に異を唱えて逆説的にそう呼んでいるだけであって、養ってもらっているからという意味ではないし、利益をゼロにする年でも扶養に入ることはないのであしからず…。

 

しかし、生きていれば月は必ず欠ける。

俺はまだ43歳とはいえ長く生きていれば、両親も老いていつかは死んでしまうし、自分も病気になるかもしれないし、どっちみち老いるし、おそらくは俺のほうではないと思うもののどちらかが死ぬ前に配偶者を失うし、そして自分自身も必ず死ぬ。

そんなことよりも資金運用に失敗して個人投資業からの撤退を迫られる可能性がないといえなくもない。

これらのいつかは訪れる出来事は誰にも避けられないということを常に肝に銘じて、悔いやり残しのないように生きていきたいものである。

 

f:id:gooddays-shumai:20200719231135j:plain久々の晴れ間に新しくできたショッピングモールである有明ガーデンに行ってきました

 

f:id:gooddays-shumai:20200719231151j:plain本来ならば今頃はオリンピックで違った雰囲気だったのでしょうが、休日だったこともありとても賑わっていました