GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

情報を浴び続けること、そして夢の話

今のセミリタイア生活に入って、日々膨大な量の情報に接するようになった。 

PCの前に座っている時間が異常に長く、日平均で50サイトぐらいはルーティンで読み続けているし、それ以外の時間も図書館から借りた本やKindleで読書をし、iPadでdマガジンを起動して週に15冊程度の雑誌を読んでいる。

散策や散歩や自宅トレーニングや料理をしている時でも大抵はPodcastを聴いているし、テレビや映画やドラマも情報とみなすとするならば、異常な量の情報に接し続けているといっていいだろうと思う。

俺の周囲で俺ほど一日中情報を浴び続けている人間は俺の他には見当たらない。

 

しかし、情報に接すれば接するほど真逆だったり違った見解の意見に接することが多いので、どれが妥当な意見であるかを識別するのがより難しくなっていく。

もちろん、情熱を持って自分なりに真実を追えば自分の中での確たる意見が形成されるのだろうが、これだけ多種多様な情報が頭にインプットされていくなかで全てのジャンルを追うのは無理だし、だからといって一つのことをしつこく追うほどの興味も湧かないし、しつこく追った人がアウトプットした意見をインプットしてのこの現状なのだから救いがない。

 

例えば新型コロナウイルス関連で、感染者が多い国と少ない国の差はどこで生じたかという問いについて膨大な意見が交錯しているが、この中から真実を探すことなど、科学者でもできていないのだから素人にできようはずがない。

そういう意味では池田信夫氏のように自信を持って明確なポジションを取る人というのは「商売とはいえ、リスクしょってるよな~」と良くも悪くも感心する。

ましてや専門家の西浦博氏に関しては専門家会議のオブザーバーだったのに国を動かしてみせたのだからその覚悟と心労のほどは如何ばかりかと思う。

俺などは「西浦氏やりすぎ~」と思ってきたほうだが、俺のようなド素人からそう思われるなんて…と思うと同情の念を禁じ得ない。

 

情報を浴びまくって、浴びれば浴びるほど何が正しいのかわからなくなり、浴びる傍らで次から次へと忘れ続け、一体何のために情報を浴びているのかと言われると本当に答えに窮するのだが、でもできるだけ多くの情報をインプットしておかないと自分の中で納得がいかないというか、そうしないときちんと把握できないのではないか不安になるのである。

もちろん、インプットの結果、自分の中で納得のいく意見が形成されたにしてもせいぜい本ブログでそのごく一部をアウトプットする程度で、他には何もアウトプットしないのだから生産性はゼロである。

日々の俺のインプットが一応の本業である投資活動に与える影響も1%にも満たない。

生産性がゼロなのに情報を浴び続けるのはそのこと自身がとても楽しいし、単なる娯楽だからということになるが、浴びれば浴びるほど迷いが増すだけ、浴びないと不安になるだけ、浴びた横で忘れ続けるだけなのだから全くを持って不毛だなと日々思っている。

 

昔から寝ると夢を見る人間だったが、情報を浴びまくるようになって余計に夢を見まくるようになった。

寝ている間に脳が記憶を整理するために夢を見るともいうが、どうして記憶を整理するのにあんな奇妙な夢ばかりを見るのだろうと毎朝思っているところである。

夢の世界もリアルワールドと同じぐらい楽しく苦しいので、パラレルワールドを体験できるという意味では夢とは一粒で二度美味しい仕組みだなあとも毎朝思っている。

いや、リアルワールドに苦痛はほとんどないが、夢の世界では苦痛も多々あるわけで、そういう意味では迷惑でもあるのだが、しょせんは夢なので気にしないことにしている。

寝たい時間に寝て、アラームはかけずに起きたい時間に起き、昼寝をしたくなればこれまたアラームをかけずに昼寝をするという自堕落な生活をしているが、寝るがままに任せると昔より睡眠時間が伸びて8時間は寝るようになった。

もしかしたら記憶の整理に手間がかかっているのかもしれないなとも思う。

不毛なインプットは、その結果としての夢と睡眠時間の増加を生み出しているが、不毛が不毛を生み出しているとはいえ、なかなか愉快なものだと思って生きている。

 

f:id:gooddays-shumai:20200628143607j:plain大雨が降った翌日の日比谷公園でパンを食べていたら、普段よりも寄りが強い…ミミズも地中から出てきているとは思うのだが、お腹が空いたのかなあ~