GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

強固さを増す国際世論と安倍政権の妙手

習近平氏の国賓来日の延期は当然とはいえ、中国の都市から先に日本人の入域制限をされてしまうという屈辱のなか、安倍政権は今頃になってビザの効力停止および検疫法に基づいて中国・韓国・イランからの入国者に停留・隔離の制限をかけるというが、これを遅すぎると見るか、遅すぎたとしても打たないよりずっと良いと見るか、反対と見るかは人によって見方が分かれるところであろう。

 

俺も長らく慎重に考える気持ちも捨てきれずにきたが、今の国際世論の狂乱ぶりを見るとやらざるを得ないと考えを改めた。

新型コロナウイルス騒動が起きてもしばらくは米国株式市場が最高値を更新し続け、ドル円も円安に振れるというダンスをしばらく続けていたので甘く見ていたのだが、相場は地獄に叩き落され、国際世論も時間が経つごとに強固になる一方となり、リスクに対して最も敏感であるべき市場ですら事態を全く読めていなかったということになる。

もし、国際世論がここまで強固になるとあらかじめ読みきることできていたとしたら他国のように早々と入国制限をかけていたほうが良かったということになるのかもしれないが、入国制限をかけるタイミングとしては湖北省武漢市の隠蔽が明るみになった1月下旬のタイミングでは既に遅すぎた感があるし、その頃には中国自体が団体旅行の中止を打ち出したのであまり変わらなかったのかもしれないとも思えなくもない。

 

インバウンド消費はGDPのわずか1%でしかないが、自粛モードによってGDPの6割を占める国内消費が落ち込むとそのダメージは計り知れないものとなる。

そのダメージが凄まじすぎるために支持できないとは前回に述べたし、それを撤回する気もないが、安倍首相が先日打ったイベント等の自粛要請と公立学校の休校要請という一手はかなりの妙手だったと今になって思い知らされる。

時に、徴用工問題に対抗する輸出管理だとか、消費税増税に際してのキャッシュレス化促進という妙手を繰り出す安倍政権だが、今回の一手は過去を上回る妙手中の妙手である。

 

人間には過去の犠牲を正当化する性質があるので、これによって感染を抑えられたら「代償を払った甲斐があった」と、感染が広がったとしても「もし手を打たなければこんなものではなかった」と多くの人が思うものと予想されるため、代償は大きくとも実は政権にとってのリスクは小さい手であるともいえる。

それに対して、日本以上ともいえる国際世論の狂乱ぶりを見ていると、他国から緩慢な手を打っているように捉えられることによる国際的なダメージのほうは日に日に大きくなるばかりであった。

そういった国際世論の渦にあっては「新型コロナウイルスなんてそんな大したことねーじゃん」と言い出す国が一国も表れないまま各国が強固な対応をして行くのだと思う。

そして、効果のほどはさておき、とうとう日本政府が全国の公立学校に休校を要請するというドラスティックな手を打ったことにより、国際世論上で日本を批判する論調が沈静化される方向に向かったではなかろうかと思う。

 

橋下徹氏も述べていたのだが、子供を犠牲にして公立学校は休校にできても、満員電車を止めさせることは実質的に経済活動を止めさせることであり、これは余程のことがないと打てない手である。

また、自衛隊に「ほぼ丸腰でホルムズ海峡に行け」と無茶を言い、軍法会議もないような不備だらけの法を持ったこの国にその根拠となる法律が整備されているとは言い難い。

そして、きちんとした補償を行わずに遊戯施設や飲食店に休業を命令したり、イベントの中止を命令するのも現在の法体系では至難の業だという。

現状において行政にできることは、大変に卑しい手ではあるものの、それらの施設に自粛を促したり、それらの施設に行くことを国民に不謹慎なことであると思わせることだけである。

公立学校に対してですら休校を強制することは法令上難しいため、政府は自粛を呼びかけたわけだが、横並び意識の強く、忖度列島の日本では一気に休校に動いた。

学校を休校にさえしてしまえば子供向けの遊戯施設は一定の自粛をしないわけにはいかなくなる。

そして、子供が新型コロナウイルスに感染したとしても親のせいにしてしまえる。

 

企業は民意や行政の意向を強く忖度するので、スポーツジムの多くは休業を選択し始めた。

ビュッフェスタイルのレストランも泣きそうな気持ちで毎日悩んでいるのだろうと思う。

そのようななかで、不要不急でも民意を忖度する必要がない零細居酒屋の呼び込みや不動産営業のサンドイッチマンは以前と変わらずに街中に立っているし、固定客にさえ来てもらえば良いと考えるパチンコ店も「対策を講じてます!」とお茶を濁しつつ営業するのだと思う。

呼び込みやサンドイッチマンは普段はこの上なくウザいけれども、今の自粛ムードがはびこる重苦しい世の中にあってこの鈍感力を持った存在は一種の清涼剤のようにすら感じる。

 

とにもかくにも、不要不急のサービス業は営業しても客が少なく、感染先になりかねないリスクと不謹慎と思われかねないという重圧を背負い、休業してしまったら経営が危うくなるという恐ろしい状況が日本中を覆っている。

一方、就労者の大半は雇われている身であり、給与をある程度保障されている。

正社員は決められた月給をもらうので、自営業者やフリーランスの人のように実入りが大きく減るというわけではない。

彼らは世の中の過半数であり、生活を保障されているので経営者や自営業者やフリーランスの人ほどに苦しむわけではない。

このようななかで、「この自粛モードのなかで補償もなくては生きていけません。私はどうすればいいのですか?」と声を張り上げる事業者がいたとしても世の中は不謹慎というレッテルを貼って葬り去っていくのである。

 

話は少し変わるが、俺は新型コロナウイルスにおける日本国内での死亡者の少なさに着目している。

感染者数は検査有無等でバラつきが出るが、死亡者数は感染者数に比べるとずっと確かな数字である。

また、当然ながら肺炎に苦しんだとしても死ななければ救いにはなるわけで、そういう意味でも感染者数より死亡者数に着目している。

死亡者数に着目すると韓国やイタリアは当然ながらアメリカのほうがずっと多いわけで、そういう意味では日本以上に蔓延しているのではないかという気もする。

いずれにせよ日本は、同調圧力の強さだとか、握手やキスやハグの習慣のない文化だとか、衛生観念だとかで他国より感染症に対して優位に立っていると思う。

 

【2020年3月19日追記】

当初、本文は「国際世論のオーバーシュートと安倍政権の妙手」という題名にしており、国際世論と各国政府の強すぎるぐらいに強い締めつけという意でオーバーシュートという言葉を用いていたのですが、爆発的な感染拡大のことも「オーバーシュート」と呼ぶことを3月19日に知り、読み手の困惑を避けるために、題名を書き改めるとともに、本文中における「オーバーシュート」という表現に関しても「強固な対応」と表現に書き換えさせていただきました。

 

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東京マラソンがあった日の午後の銀座。マスコミが言うほど人が少ないわけでもなかった…