GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

夫婦はデュアルが合理的でカッコいい

にわかに信じられないのだけど、定年退職をしてもすることがないから再就職するだとか、暇つぶしに図書館へ行くだとか、今さら新しく趣味を始めるだとか、テレビを見てゴロゴロしてるだとか、奥さんや子供からウザがられるとか、この段になって家事に手を出すとかいうおじさんがいるということを文章で目にすることがある。

もし、仮にそういう人がいるとすれば、その人はとてもかわいそうな人だと思う。

 

そもそも夫婦で完全に役割を分担して、カネを稼ぐ仕事にのみ集中して家族を顧みない人生は人生の本質から外れすぎているように思う。

ましてや、老後の時間つぶしに苦労するなんて人がいたら、かわいそうとしか言いようがない。

 

金銭のための=GDPに寄与する労働は、自給自足できないものの補完と、歴史的な言葉で言えばお上への納税のために行うものであり、主従で言えば明らかに従である。

従である労働が趣味で楽しくて止められないという人だけは例外だが、金銭目的であれば明らかに従であり、主をおろそかにするのは人生にとって本末転倒だと思う。

 

時代に要請されて、「男は仕事一筋」が良しとされた世代もあると言う人もいるだろうが、それは自分で考える力がないと言っているのと同じであるように思う。

例えば、戦争に出征してお国のために死ぬことはやむを得ないと思う価値観を持つ人が多かった時代に、そう思うか、もしくは、戦争ごときでの犬死だけは何があっても勘弁だと思うか、または、変人・狂人扱いされようと何があろうと特攻隊の志願なぞしないと思うかという違いである。

遊就館や知覧に行って涙を流すことはあるが、それは非人道的な行為の強制もしくは洗脳と、彼らを犬死させた無念さとそれをさせた時代への憎しみに対してのみであり、美化する要素は俺の心には全く湧き出ない。

戦争に関しては、1945年8月15日以降に価値観が一変したわけだが、俺が生きてきた40年あまりだけでも時代とともに価値観は変わり続けているので、相対的な価値観に左右されず、自分独自の絶対的な価値観で考えることが大切だと思う。

 

俺は、仕事が趣味という人をうらやましいとは思うが、仕事がバリバリできることがカッコいいとはそれほど思わない。

俺がカッコいいと思う人は、自分で自己完結できる生活力を持つ人であり、多様性のある人であり、家族と何時間でも会話に興じることができるような人である。

そして、仕事が趣味ではないのに、趣味がないという人や、仕事に人生を捧げている人は本末転倒な人生を送っているのではないかと思う。

 

もし仮に、今、家の冷蔵庫に何の野菜があるかを把握していない、家の在庫を思い浮かべてスーパーの特売で何を買えば良いかがわからない、あり合わせでさっと料理を作れない、日々の地味な料理を継続して作ることができない、換気扇のフィルターを換えられない、アイロンをかけられない、ボタンの一つもつけられない、テレビを見ながら服をたためない、という人がいるとすればそういったことをできるように努力したほうが良いのではないかと思う。

もし、パートナーだけができて自分にできない家事があれば、それはできるようにしたほうが良いと思う。

もちろん、料理の上手い下手といった違いはあるだろうが、上手い下手ではなく、やるかやらないか、できるかできないかということが大切なのではないかと思う。

夫婦はデュアルでお互いに何でも補完できてこそ、個々が自立できるわけだし、お互いに分かち合えるわけだし、共感できるし、つながる範囲も増えるわけで、そうであれば邪魔者扱いされることなど考えられないし、家族と話が合わないなどということもないだろうと思う。

俺はパートナーとは毎日長時間話をするし、郷里の父と母とも週に一度はそれぞれ30分~1時間程度は電話をしているし、弟と電話をし始めたらなかなか止まらない。

 

以下余談。

俺は自分がカッコいいと思うベクトルに向かって生きてきたつもりなのだが、実は高校生頃まで、格闘技が強い者への憧れが相当に強く、大学になってどっぷりキックボクシングに浸かり、相手が素手ならば、ローキック一発で相手の心を確実に折れるので、黒人もしくは複数にケンカを売られても大丈夫な状況を作ったわけだが、ナイフや銃を持たれれば意味がないし、そもそも大人になれば暴力など全く意味を為さないため、後で考えれば中二病的な憧れだったなあとは思う。

そもそも身体が大きくて、腕周りや見た目がゴツいためケンカを売られることがないわけだし…。

 

自分の価値観を作る上で、本に学ぶことと旅行をすることは特に大切だと思うが、特に旅からは自分の価値観や考えを形成するうえでのさまざまな材料をこれでもかともらえる。

時代が変われば価値観も変わるが、ところ変わっても色々とあっておもしろい。

 

俺は料理ができないとカッコ悪いと述べたが、そもそも、食べ物が腐りやすいからか、タイ人にはそもそも自炊をしない人が多いため、料理ができることがカッコいいもカッコ悪いもない。

インドネシア人は自炊をするが、作り置きの効く料理をするので、俺の舌では断然にタイ料理のほうが美味い。

ところで、東南アジアのおっさんには、奥さんは働いているのだろうに、ろくに仕事もせずに突っ立っている人がやたらと多いのだが、あれで家庭が回るのだから不思議だし、おっさんの様子を観察しても楽しい。

  

旅行記でも述べたのだが、俺が男女平等の極みだと思ったのはやはりスウェーデンストックホルムのトイレである。

トイレが男女に分かれておらず、男女とも個室で同じフロアから個室に入るタイプのトイレを、デパートなど数ヵ所で見かけた。

個室のトイレから金髪の男女がどんどん出入りして、同じ手洗いで手を洗ったり、鏡をチェックしたりしているさまは圧巻であった。

もちろん、欧米のトイレよろしく扉の下はかなり空いており、足首も見える。

ズボンとパンツを足首のところまでおろさないと用を足せない不器用な俺にはとても使用できないなあと嘆きつつ、それでいながらトイレ全体は洗練された北欧デザインだったりしたので驚嘆もした。

もちろん、ウォシュレットはないので、ぐるぐるに巻いたトイレットペーパーを手洗い場で濡らしてからでないと大きいほうをできないという意味でも、俺は女性の前では恥ずかしくて利用できない。

 

横道に逸れましたが、時代と場所が変われば常識変わるわけなので自分自身の絶対的な価値観を大切にしたいですよね…というお話でした。

 

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