GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

人生を考えるうえでの真のグローバル思考④ 予測モデル

 

楽観予測モデルと悲観予測モデル

前々回に「2100年には112億人に達すると予測されている」と触れた。

「112億人いても地球・生物・人間には大きな影響はない」という楽観的な前提に立つのであればこれを案じる必要はない。

ここで、人口増加と人類の生活レベルの向上が、地球環境と残資源量に影響を与える場合についての楽観的な予測モデル悲観的な予測モデルについて、テキトーな例を挙げてみた。

まずは楽観予測モデル。

  • 楽観予測モデル
    100億人になろうが150億人になろうが、地球のキャパにはまだまだ達さないって~!
    地中には未知のことだらけだらけだから資源はまだまだ見つかって枯渇しないだろうし、バイオ技術のおかげで食糧の生産には困らないし、リサイクル・リユース技術が発達しまくって、相当なレベルで循環的なサイクルができるはずだから、人間や生物が住むのに適した環境も持続可能なレベルで維持できるさ~!
    テクノロジーの発達で人類は食うにも困らなきゃ、資源も無事に残せていれば、環境にもそれほど負荷をかけずに済む予定だぜ!
    それに、AIがバッチリ働いてくれるはずから、俺たちはほぼ遊んでられるっていうか、むしろ、人類は遊んで生活をするなかで自分を幸福にする方法を考えるのが大変になると思うわ~!

 

っていうような世の中が到来するのであれば何の問題もないですわな。

未来予測が外れまくるというのは自分の40年余りの人生を振り返るだけで十二分にわかっていることで、そういった意味においては未来予測はするだけ無駄とも思える。

急に氷河期になったり、隕石が落ちてきたりするかもしれないわけだし…。

でも、なんとなくではあるが、以下のような悲観的な危惧するという人も少なくはないだろう。

  • 悲観予測モデル
    このまま人口が増え続けたら影響は甚大だ、いや、むしろそれより平均の生活レベルが今のペースで上昇していくことのほうが怖い。
    もはや人間の数を減らさないと、これまで散々SF小説に描かれてきたような人間圏の自滅が訪れるのではないか。

未来予測は当たらないという前提に立つ以上、どう考えるかはもはや好みの問題のようなものかもしれないと思う。

 

人類として打てる手のカテゴライズ

人口増加と人類の生活レベルの向上が、地球環境と残資源量に影響を与えるとするならば何らかの手を打たなければならない。

打つ手を極端な方向性別にテキトーにカテゴライズした場合、以下のようなものを思いついた。

 

  • 統合的な権力の確立と環境負荷行動の強制的な抑制によるアプローチ
    国家権力よりも強い強制力を持つ、人類全体をコントロールする世界政府権力を確立させる。
    世界政府権力が人間一人当たりの資源の使用量や環境への負荷量に強制力を伴うキャップをかける。
    中国が行った一人っ子政策の類似策、場合によっては強烈な人頭税のような人口減のための革新的な政策を実行する。

  • 宗教・文化・人権の抑制によるアプローチ
    人類全体の持続可能性にそぐわない宗教や社会規範を大きく改めさせる。
    産めよ増やせよの社会規範や宗教観を止めさせる。

  • 現状維持
    個々の幸せや豊かさを追求する権利は現状通りに保障される。
    現状の強欲極まりない資本主義社会と経済成長絶対重視のトレンドは変えない。
    あとは野となれ山となれ。

ベストは、楽観予測モデル+テクノロジー的アプローチ+現状維持であろう。

悲観予測モデルに対してはテクノロジー的アプローチがどこまで立ち向かえるかで、今更、基本的人権の抑制はできないだろうし、イスラム教や多産奨励・中絶承認型の宗教勢力が弱まることもないだろうから、おそらくは、課税や女性の社会進出による人口抑制策以外の策は実効性を持たないだろう。

やはり、人間が減るように上手に持っていくことがベストだと僕は思う。

ちなみに現在の世界の出生率はこんな感じのようである。

上位国にはいい加減にして欲しいものである。

 

ecodb.net


人口増のペースは減るが、その代わりに起こる危惧

人口増のペースは以下のようになっており、また、予測されている。

 

長らく2億人~5億人→1802年 10億人
→125年後→1927年 20億人
→34年後→1961年 30億人
→13年後→1974年 40億人
→13年後→1987年 50億人
→11年後→1998年 60億人
→13年後→2011年 70億人
→89年後→2100年 112億人(予測)

 

上の数字をよくよく見ると50億人から60億人になるのに11年しかかかっていないのに、70億人になるには13年かかり、その後、42億人増えるのに89年かかる予測となっている。

明らかにペースが落ちている。

10億人増えるのに21年かかるペースに落ちる予測となっている。

これは、人類全体の教育レベルが上がるからだろうと思う。

もちろん、女性がきちんとした教育を受けられるようになり、その結果として、女性が産む子供の数が減ることはとても望ましいと思う。

しかしながら、そのことによって人口の増加は止まったとしても人間圏への悪影響はおそらく増すものと思われる。

女性がきちんとした教育を受けられない理由は、紛争などの政情不安もしくは宗教の影響が考えられるが、女性が教育を受けられるような国になるということは、ある程度自由で平和な国になることと同義に考えることができるため、おのずと経済成長する可能性が高く、そうなってしまうと一人当たりの資源の消費量が増えることから免れなくなる。

人口が増えつつも増加ペースは落ちるが、平均寿命は伸び、平均的に豊かな生活を送るようになり、その結果、それを享受するために必要な資源量は増えることとなる。

 

ガッツポーズの日本モデル

しかし、日本の人口の減少のペースは実に心強い。

思わずガッツポーズをとるほどである。

河合雅司氏がこちらで国立社会保障・人口問題研究所のデータを引用した情報によると…

 

一定の条件を置いた“机上の計算”では、200年後におよそ1,380万人、300年後には約450万人にまで減るというのだ。

 

とあるではないか!

人類全体がこの流れになるよう人智を働かせて欲しいと僕は個人的に願っている。

 

ってことは偉いのは?

産むことは、個人の人生、日本国にとっては良いことで、人類全体にとってあまり良いことではない。

資源を使って豊かな生活を享受することは、経済成長にとって良いというか避けられないことであり、環境や人類社会の持続性にとってはあまりよろしくないことである。

わかっていたことではあるが、このロジックだと、現在の地球では、産まずにエコな生活をする人が最も偉いということになってしまいますわな。

 

続く。

  

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サハラ砂漠にて