今回のシリーズは数回続けて書く予定です。
僕はマクロな視点とミクロな視点で意見を述べる時に逆のことばかりを述べています。
マクロに対しては、「皆は消費しまくって経済成長に資せよ」と述べ、自分というミクロに関しては一貫して「俺はケチケチで行く」と述べています。
そして、今回は超マクロな思考で述べるため、普段述べているマクロ経済についての意見と真逆の意見となります。
むしろ、超マクロについて考えたら自分レベルでのミクロに近づいたといった感じです。
いくらなんでも人類は多すぎる
いつもいつも思っていることがある。
地球に住む人間の数が多すぎるのではないかということと、今のような生活をしていたら人類は早晩行き詰まるのではないかということである。
世界には勢いのある国がたくさんあるので、他の国の人がどう考えるかは想像がつかないが、少なくとも日本人ならば大半の人はそう思ったことがあるはずだと僕は思っている。
しかし、個々の人間のほとんどがおぼろげにそのようなことを考えながらも、全体ではそれを的確に制御しようという方向に知恵が働いていない。
もし、人類の破局を迎えないために人類全体で知恵を働かせるのであれば、世界は一つの政府でまとまるべきであり、個々が経済的な豊かさを追求する権利よりも人類社会の持続可能性を優先しなくてはならないはずである。
なお、国の枠組みを超えた国際機関は存在しているが、国や人類全体の欲望を抑えつけるほどの働きを果たせているかといえば、昨今の世界情勢を見ればアメリカの動きだけを見るだけで大いに疑問が残る。
つまり、地球・生物・人類の利益よりも個々の人間の利益のほうが明らかに優先されているのである。
地球システムと人間圏
松井孝典氏は集英社新書から出している著書「我関わる、ゆえに我あり」において、以下のように述べられている。
なお、以下は僕の要約である。
地球システムを構成する要素は地圏・水圏・大気圏・生物圏・人類圏からなる。
そして、人間圏は農耕牧畜を始めることで生物圏を飛び出して人間圏を形成し、産業革命以降のストック依存型の文明の時代によって人間圏が地球の規模を超えて拡大した。
海は大陸物質によって汚染され、あらゆるものは酸素によって汚染(酸化)されるように、汚染と呼ぶような変化は人間がいなくても起きるが、地球システム内部のエネルギー(駆動力)によって駆動する物質の流れ(フロー)を超えて人間圏内部に駆動力を持ったため地球システムと人間圏の関係は非常に不安定になった。
これは「エネルギー循環を先送りし、時間を先食いすることによって豊かさを手にした」ことが招いた問題であり、そのあり方を問わない限り問題は解けない。
太陽光をより多く利用することも物理的には地球を太陽に近づける(地球の金星化)ことである。
人類は地球が長い時間をかけてストックしてきたものを一瞬の間に使い、地球のシステムを逸脱する駆動力を発生させてしまっているのである。
言うまでもないが、持続可能性があるはずがない。
また、物理学的には太陽光エネルギーは純粋に温暖化につながってしまうのかと驚く。
「地球の金星化」という言葉の持つ重みが恐ろしい。
仮に地球を1/100,000の模型で考えると、地球は直径12.742mの球体になり、そこでは地表から10kmの範囲がわずか1cm、1kmは1mmとなり、地球のボリュームにおける人間の生活する範囲=活動範囲としての人間圏はこの球体にかけた水のようなものであり、そのちっぽけさがわかるのだが、それでも人間は明らかに地球に影響を及ぼし過ぎている。
こちらより引用したのだが、地球の誕生してからの46億年を1年に例えると、12月31日11時59分46秒にキリストが誕生し、残り2秒になって産業革命、最後に1秒内に20世紀が始まったそうだが、わずか1秒の間にとんでもないことをしているものだと思うのである。
また、地球が誕生してからの膨大な長さに比べて、人間が誕生してからの異常な尺の短さこそ、僕が宗教を毛嫌いする理由でもある。
ハワイ島・マウナケアにて