GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

読み返しはいいけど、同じ話を聞かされるのは迷惑

前は、欲張って次々と違う本を読んで、同じ本を読み返すことなんてそうそうなかったが、最近、前に読んだ本を読み返すことが増えた。

元からボケているのか、年々ボケているのかはわからないが、読み返すと次々と再発見があるし、大抵新鮮な気持ちになれるからだ。


あまりに新鮮な気持ちになってしまうため、自分の脳のスペックの低さを嘆きつつ、何回読めばきちんと把握できるようになるのだろうと呆れるが、子供の頃なんて次に何て書いてあるのかを完全に把握するぐらいまで同じマンガを何十回も読んでいたわけだし、何より、本を書いている人はそれこそ何十回も読み返しながら書いているわけだから何回か読むのは悪いことではないと思って読み返している。

そんなことを言いつつ、ブログは2~3回ぐらいしか読み返さずに簡単にアップしてしまうわけだけど…。


とはいえ、自分から同じ本を2回読みに行くのはいいが、例えば旧友と飲んだ際に、同じ思い出話を何度もされると辟易するし、同じ作家が違う本に同じ話を書きまくっているのを発見するのにも辟易する

自分からもう一度話を聞かせてもらいたいのと、同じ話を2度聞かされるのは全く別だということである。


書き手がこのポンコツぶりだからこのブログにも同じようなことばかりを書いているのではないかと心配になる。

人間の思考パターンなんてそうそう変化を持たせられるわけではないので、思いつくのが似たようなことばかりになるのは仕方ないのだが、「前にも述べたが」との断りなしに同じことを2回書くのは本当に有害だと思う。


しかし、人間のアウトプットのキャパシティーなんてたかが知れているわけで、裏を返せば、書けば書くほど今後書けることがどんどん少なくなっていっているともいえるわけである。


読めば読むほど忘れる脳で、書けば書くほど書けることが少なくなり、かつ、過去に何を書いたか良く覚えていないなかで、同じ内容の吐き出しをしないようにするのは意外と大変である。


本を読むときに、内容をモノにするつもりで読んでヌケばかりだったら悲しいけど、読む行為・過程自体が楽しいのなら忘れてなんぼだと思う。

文を書く時もその書く行為・過程自体が娯楽であれば、読者が少なかろうが他のことは大抵いいかなと言いたいだが、同じことを吐き出すのは読み手に有害なので気をつけたいと思う。