GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

ボクシングの文化的側面

村田諒太選手の勝利は良かったが、文化的側面で思ったことを書く。

 

ダイレクトリマッチで勝てるかどうかというのは本当にわからないわけで、ここまでワンサイドになるとは作戦が上手くいったのだろうと思う。

それにしても、俺の決めつけかもしれないが、ヨーロッパの選手は敗色が濃くなると簡単に試合を棄権する傾向にあるように思うが、今回もそのように映った。

もしかしたら余程ダメージが濃いのかとも思ったが、「私はまだ続けたかったが、あれ以上無駄にパンチを受ける必要はないとチームが判断した」「村田は前回より圧力があり手数も多かった。おめでとうと言いたい」「長く防衛してもらい、3度目の対戦ができたらいい」と述べているあたりを見ると、そうではないように見受けた。


仮に日本で簡単に試合を投げてしまうイメージを観客に与えたとしたら、ファンやマスコミやネット世論で不評を買って次のチャンスが巡らなくなりかねないように思う。

間違ってもこの棄権の仕方で上記のようなコメントをしたら日本では許してもらえないのではないかと思う。


しかし、少なくともフランスではこれでファンに許してもらえるということなのだと思う。

敗色濃厚ならば余計なダメージを追う必要はないという考えが選手にもファンにも徹底しているのだろうと想像する。

それはとても良いことなのではないかと思った。

ヨーロッパの選手は概してガードがしっかりしていて、間違っても捨て身のノーガードで打ち合う選手は少ないように思う。

ダメージのコントロールをきちんとしているのではないかと思うし、俺個人はKO負けよりは棄権のほうがずっと良いと思い続けている。

KOのほうが見ていてスカッとするし、KO礼賛の風潮も理解できるし、ガードが甘くても打ち合ったほうがおもしろいのだが、本当はしびれるぐらいの高度な技術を見せ合って判定で決まる試合こそが最も評価されるべきだと俺は思っている。


なお、人気で報酬に劇的な差が出るプロスポーツ大国のアメリカでも打ち合う選手のほうが圧倒的に人気を得る傾向にあるように思う。


自分自身が若い時に格闘技をやっておきながら言うのも難だが、相手の体を痛めつける格闘技はスポーツと呼ぶにはあまりに野蛮で、「ルールのあるケンカ」とでも呼んだほうが良いと思うぐらいなのだが、むしろ普通のスポーツよりもスポーツマンシップが必要だと思うのも事実でケンカとも言うわけにはいかず、複雑な気持ちでいる。

とはいえ、ある種野蛮なことには間違いなく、だからこそ見るほうにも背徳感があってそれゆえに熱くなるわけである。


多くの打撃系格闘家は格闘技の道を選んだ代償として、パンチドランカーとまでは言わないまでも後々何らかの後遺症に悩まされることが多いのも事実である。

リングドクターやメディカルチェック体制や所属ジムがその選手の長い人生全体にまで責任をとってくれるわけではないのである。


マチュアの俺が試合で使っていた日本製の12オンスのグローブですら小さいと思っていたのに、それより小さく、しかもより効かせやすいメキシコ製を使うこともあるわけで、「こんなので殴り合ったらシャレにならんわ」「プロとはいえ、同じ人間だろうに」と思ったものである。


というわけで、選手の人生を考えると敗色が濃くなった時点での途中棄権は推奨されてしかるべきであるように思った次第である。

 

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