GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

アンチ写真じゃ~!

自分の行動は自分で決めるべきであり、人の行動を見て決めることではないが、どうも人が写真を撮る行為に気に入らなさを覚えることが多くなって、写真を撮るという行為に対するやる気がなくなって久しい。


例外として、旅行に行った際に見たものを残す必要があるので残すための写真を撮るが、それとてほとんどは妻が撮っているもので、ネットに写真をアップしてる場合にも妻が撮った写真にコメントをつけてアップしているものが多い。


一眼レフを二人のどちらかが持って適当に撮るだけなので、どちらが撮ったかもあまり覚えていないのだが、このところは俺が撮ることはほとんどない。


写真を撮る気が失せた理由は、言うまでもなく…なのかわからないが、スマホで写真を撮っている人があまりに多くて、もうなんだか、写真を撮るという行為に気が萎えてしまったからだ。


スナップ写真というのはその瞬間の空気を映像に残すためのものであり、あくまで主役は今その時で、写真はそこの一瞬を切り取るものであって欲しいと俺は思う。

なのに「インスタ映え」狙いなど、写真そのものを撮ることを目的にするのは邪道も邪道と思うのだが、SNS全盛の世の中で、世の中の多くの人がインターネット上に写真をアップしまくっていて、しかもその量も生活のログをアップするかのように大量すぎで、世の中に溢れる画像量はいくらなんでも多すぎだろ!と思う。

そういう世相が嫌でスナップも嫌なら、真面目に写真のために写真を撮る行為すら俺にとってはケタクソ悪い行為に思えてきているのである。


また、アジア人が自分を撮るのに必死になっていたり、同じくアジア人女性がポーズを作って最高の自分を撮るのに異常な情熱を燃やしているように見える光景を目にし、また、「インスタ映え」などという反吐の出そうな響きの言葉を耳にするにつれ、「俺は余程のことがなければ自分の写真なんか撮らんし、はては写真すら簡単には撮らんぞ!」と意固地にもなろうというものである。


とはいえ、俺もFacebookにたまに写真を載せるが、世に写真を氾濫させるのであれば、やはり一定以上の質のものでないと気が進まず、きちんと一眼レフで撮って、それなりの出来のものしか載せないことを矜持としている。


話はずれるが、俺は数年前に写真を撮られる際にピースサインを作るのがバカバカしく思えて一切封印することにした。

同じく、茶髪も2年ほど前に同じ理由で封印した。

でも、つい最近、気分転換とか言って封印を解いて茶髪に戻してしもた。

だからといってピースサインは金輪際するつもりはない。

 

ラサ・ポタラ宮にて、五体投地の巡礼のはずがサングラス客に写真を撮らせる商売に…