GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

「やらなきゃ」から「やってしまっていた」への転換

仕事において、いつの間にか「やってしまっていた」ばかりをやっていたら当然ながら仕事にならない。


堀江貴文氏や世の成功者のように、かたくなに「やってしまった」を続けたら上手くいったというのがもちろん理想だが、多くの人にとっての仕事とは、各々のゴールを設定し、可能な限りのスピードとクオリティを追求してそこへ突き進む作業である。

でも、仕事や子育て以外の多くのことに関しては別に目的など定める必要はないので、「やってしまっていた」の連続で良いのではないかと思う。

成長することで快感を得られることはあるが、これはあくまで娯楽として楽しむことであり、苦行であるようなら止めたほうがマシだと思う。

例えば、買い物を例に挙げれば、買い物リストを作ってそれを探し続ける買い物ほどつまらないものはない。

もちろん、上手い具合に欠品がなく欲しいものが見つかって買い揃った時の達成感は高いのだが、その途中はものすごくつまらない。

なので最近は、日用品などその種の買い物は仮にコストが多少上回ったとしてもAmazonで済ますようにしている。

 

休日も予定を決めてそれをきちんとこなすようにすると大抵楽しめない。

実は今日はそのように自分で決めた義務をこなすようにして過ごしたのだがつまらないことこの上なかった。

昨日は何も考えずに思うがままに出かけて思うがままに過ごしたのだが、何をやっていたのかもよくわからないけれど楽しかった。

人生は今日のようではなく、昨日のようであるべきなのだと思う。

人生はグータラでいいのだ!


僕は夢のカレンダーを作って、それに向かって遮二無二がんばって後で振り返ってよくやったと思う人生がいいとは思わない。

気の向くままにふらふら進むほうが絶対に楽しいし、そのほうが後で振り返ってみても自分らしいと思えるのではないかと思う。

 

あと、不思議なことに「やらなきゃ」ならないことがあって、そこから逃避して「やってしまっている」ことほど楽しいことはない。

期末テスト前に自分の部屋を大掃除してしまうのと同じである。

例えばこの文章もそうで、ギターの練習をやらなきゃいけないのに、面倒くさくて逃げ続けてこんなことを書いて「しまっている」のだが、それはそれは楽しい。

結局、夜も遅いから練習はしないのだが、それでいいではないか!

プライベートに目標設定なんてろくなことないのだ!

 

今回の話は、多くの人にとっては「何あたりまえのこと言ってるの?」と思われるような話かもしれませんが、いつも、自分で勝手に設定した義務に追われてプライベートを過ごす癖がついてしまっている僕自身への戒めです。