GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

個にとって国なんて本当は気にしていられないのに気になる

地球・宗教・国家・自治体・職場・コミュニティーと帰属する組織体は多々あれど、日本がどうかということが何故にこんなに気になるのだろう。

国のマクロ統計が何故にこんなに気になるんだろう。

歴史軸で見ればこんなに豊かな時代はないのに、他の国より正社員が長時間働いていたり、労働生産性が先進国最下位レベルに低いことにどうしてこんなに悲しくなるんだろう。

 

日本がどうだったとしても、僕が日本を構成する要素は1億分の1以下だし、僕と僕と関わりのあるごく少数さえ良ければ利害もないはずである。

日本企業が大躍進しようと大コケしようと、海外で日本の評判が良かろうと悪かろうと自分個人にはほぼ関係ないはずである。

国が落ちぶれようと自分が自分の望む生活をできていれば情けなくなんかないはずである。


だから、頭では国がどうということを考えるのは社会把握という娯楽を楽しむということ以外においては時間の無駄と思っているのだが、それでも、時には我がことのように気になるのだから国が僕個人に及ぼす影響の大きさには戸惑う。

また、人と人の関わりは個対個もしくは小集団が基本であり、個の生活に国対国の関わりが入ってくることは政治家でもない限りはないはずなので、同じく、娯楽目的以外で国対国の関わりについて考えるのも時間の無駄である。

でも、その娯楽は結構楽しい。

 

ところで、海外のビーチで寝転んでいる時に隣に寝そべっている人が他の国の人だったらそんなに気にならないのに、日本人が寝そべっていたりしたら言葉がわかるだけに逆に邪魔に感じるし、飛行機で日本人のキャビンアテンダントだとわかった瞬間に途端に態度が大きくなる日本人のおっさんなどに関しては言葉がわかるだけに他の国の乗客より何倍もイラっとするというのが個対個の関わりの中の現実である。

 

それでも世相に目を向けると、日本人は海外の人から日本について褒めてもらう番組やサイトを見るのが大好きなように見え、隣国に比べて日本がいかに安心で優れているかを書いた文章を読むのが好きな人も多いように見える。

 

人類の歴史では、非民主国家であれ民主国家であれ、戦時には国のために命を投げ打つ人がいたのだが、考えれば考えるほど悲しくなる。

人は個対個で存在していて、国対国で存在するわけではないのに国というものが個の心を縛る部分は大きい。


自分に直接関係がある家族や友人やコミュニティーと違って、正直、祖国や郷土などという大きすぎる帰属体にやたらと愛情を持つことからは解放されるほうが理想だと思うのだが、なかなかそうもいかないのだろうなと思う。

あと、歴史を勉強するほど祖国愛というものは強まったりしやすいのだが、歴史を勉強しないのも決して良いこととはいえないから困ったものである。

歴史は冷静になるために勉強するのが良いのだろうと思う。