とうとう子供の頃からの憧れのチベットへ行く夢が叶う
子供の頃から行くのが夢で絶対に行っておきたかったけど、高山病が怖く、中国当局の動向も不明で行っていなかったラサにとうとう訪問。
恐れていた高山病にはバッチリかかって苦しんだが、充実した旅行となった。
実は2011年にも行く予定で完全に手配をしたのだが、この時は中国共産党90周年のイベントで外国人の入境が禁じられて旅行前に旅行ができなくなり、代わりにハワイ島に行ったのだが、今回はそのような事件は起きずに済んだ。
機内
2016年9月10日
5時10分に家を出て5時50分頃に羽田空港に着き、7時20分の飛行機にて北京へ。
10時15分に北京のイミグレーションに並ぶが、イミグレを出られたのは45分後。
中国人はほとんど列に並ばずに済むのだが、外国人はここで中国の洗礼を食う。
帰りはそうではなかったのだが、乗り継ぎ機が同じエアチャイナなのにも関わらず、行きの便では一度荷物のピックアップと預けが必要となった。
年会費1万円もする楽天プレミアムカードの特典で海外空港のラウンジを無料で利用できるので待ち時間の3時間余りをここで過ごす。
昼食がビュッフェスタイルになっていたのだが、さすがは中国、おかずが美味しかったので思わず食べ過ぎてしまう。
飛行機は1時間遅れで離陸して19時に到着するが、西寧の空港に来ているはずのガイドが来ておらず、焦る。
パートナーが空港スタッフとやり取りして、スタッフが電話で旅行会社等と連絡を取ってくれたおかげで1時間後に来た。
北京で飛行機離陸の直前に「2時間遅れで出発する」と言いながら、やはりそれを取りやめてそのままほぼ定刻に出発したのだが、その遅延情報のみが西寧に行っていた模様だった。
西寧
2016年9月10日~9月11日
西寧に着いたのは夕刻だったのでそのまま夕食を食べてホテルに向かうのだが、夕食は麺だった。
手打ちのジャージャー麺のような麺で、手打ちだけあってコシがあって美味。
手打ちして作っているのは皆、清真=イスラム教徒の人。
どうやら清真の人には食堂経営の才があるらしく、清真の人の食堂は多いとのことだった。
「やはり粉食・麺食文化圏に来たなあ。アジア顔のイスラム教徒もたくさんいてロマンあるなあ」という感慨にふけるが、西寧に滞在した間の4食は全て麺料理だった。
翌日はチベット仏教主流派であるゲルク派6大寺院のひとつであるタール寺を訪問。
ダライ・ラマ14世も青海省出身だが、そういう意味ではこの辺もチベット文化圏の世界なのである。
タール寺は相当に見事な寺だったが、生のチベット仏教寺院を見た最初の経験ともなった。
その後は西に車を進めて日月山を経由して青海湖へと向かったのだが、これが片道3時間近くかかり、結構遠い。
日月山の景観は結構なもので、チベット仏教のタルチョがはためいていて気分が良かった。
また、結局はチベットでは乗る機会がなかったので乗っておいて正解だったのだが、ここでヤクに乗った。
青海湖は標高3,200メートルにあり、琵琶湖の6倍の面積を持つ塩湖なのだが、これまでずいぶんと多くの湖を見てきた視点で言うと、湖というのはどこも似たり寄ったりですわな。
概して中国の景観区というのは、入り口に大きなゲートがあって、日本円でも1,000円程度のやたらと高い入場料を取るようになっている。
20年近く前に中国を旅した時は、外国人は通貨に関して兌換通貨というものを利用し、入場料に関しても外国人料金というものがあったのだが、それが無くなっているようである。
そのこと自体は外国人として歓迎したいことだが、中国人にしてみればとんでもない価格だろうと思う。
話は戻って、高い入場料を取ったためか、派手な観光地的演出がなされたゲートをけばけばしく入場し、景勝地も派手に演出されている。
記念撮影が大好きな中国人が記念写真を取るための場所等が刻まれた岩や看板があって、そこで中国人が各々の決めポーズを作って嬉々として写真を撮っている。
その様子を見るとどうも食傷気味になりそうになるのだが、逆に周囲のうるささや中国人のテンションの高さを銀座で見るそれと同じように一歩下がった視点で見ると楽しむことができる。
とはいえ、うるさすぎたり人が多すぎたりすると、げんなりするのだが、青海湖は辺鄙さや標高の高さもあいまってそこまででなく、さわやかな時間を心地よく過ごすことができた。
でも、バカ高い入場料を払って入るわざとらしい景観より、帰りに車の中から遠目に見える湖の光景のほうが、好みの問題もあろうが余程美しく見えたということも付記しておく。
青海湖を出ると、また西寧の街へ戻り、夕食の麺を食べ、やたらと立派な西寧駅にて厳重なチェックを受けて入場して青蔵鉄道が来るのを待つ。
青蔵鉄道
2016年9月11日~9月12日
中国では人口が多いことなどもあって切符を買うのに苦労するらしいのだが、青蔵鉄道は特に人気のある路線のひとつなので発売初日に窓口の一番目に並んでも買えないという話があるようで、基本的に旅行会社を通じて割高の料金を払って購入するものらしい。
旅行前に、標準プランでは二等寝台の硬臥なのだが、それを一等寝台の軟臥に変更するようリクエストを出したところ、一人当たり2万円増額になり、かつ、旅行直前まで確保できるか約束できないとのことで、結局、出発一週間前に確保できたのだが、本来12,000円程度の寝台のアップグレード料金だけで2万円かかるというのが現実の話なのである。
とはいえ、高山病にかかった際にいた寝台が硬臥だったと考えるとぞっとするので二人で4万円増額になったとしてもアップグレードしておいて大正解だった。
ちなみに硬臥は3段ベッドで軟臥は2段ベッドなのだが、軟臥は上の段からなんとか景色を見られるし、あぐらをかいで座ることもできる。
硬臥は昼間は真ん中の段と下の段は3人掛けの椅子にせざるを得ないため横になることができないというのが、高山病発生時の最大の難点なのではないかと思う。
上の段は横にはなれるのだろうが、もちろん景色は見られず、上下の間隔が狭いので座ることもできない。
ずっと乗ってみたかった青蔵鉄道は21時35分に西寧を出発するので、まずは寝るところからスタートする。
その間に青海省を駆け抜けることとなる。
朝になるとすっかり違う景色が見えると長年の念願か叶ったことに感慨深い気持ちになるが、どうも食欲がない。
食堂車に行ってみる予定だったが全くそんな気になれずリンゴをかじる。
しばらくして、吐き気と下痢が同時に襲ってトイレに駆け込む。
7歳の時に吐いて以来、完全に嘔吐と無縁で歩んできた人生のなかで30年ぶりに嘔吐したのがモロッコで食中毒を起こした時だったが、「その次の機会がその2年後に来るかよ」と思うと同時に、「あーやっちゃったな」と思う。
高山病イコール頭痛と思っていたのにまさか嘔吐と下痢とはと思うが、頭痛と発熱の4点セットでなく2点で済んだことには少しだけ感謝。
頭痛がなかったのは国内で処方してもらっていたダイアモックスのおかげだったのではないかと思う。
前日の青海湖での高地順応とダイアモックスと西寧のガイドの案内で買った紅景天という漢方薬を飲んではおいたのだが、その効き目はさておき、なってしまうものはなってしまうものである。
パートナーも僕ほど重度ではないが、高山病になってしまって下痢はなかったものの吐き気に悩まされていた。
列車には自分の車両に狭い和式トイレがあり、洗面所を挟んで隣の車両に身障者用なのかやたらと広い洋式トイレがあった。
和式トイレは列車に乗っている間、一度も空いている様子を見かけなかったのだが、洋式トイレは、何故かほとんどのタイミングでそのまま入れてしまい、結局10回以上入ったなかで1回しか人が入っていたケースがなかった。
旅をしていて中国人が洋式トイレを相当に嫌っていることはわかったのだが、それにしてもこのことは待ったなしの体調だった自分にとってはあまりにラッキーで、自分では「青蔵鉄道の奇跡」として心に刻んでおくこととした。
しかしながらこれだけトイレに行くとげっそりしてきてさすがに衰弱してしまい、時折がんばって外の景色を見るようにはするのだが、何のために乗ったのかわからない感じとなってしまった。
長年の念願が叶って乗れたことはとてもうれしいのだが、こうなってしまうことがわかって乗ったかと聞かれれば激しく「否」と答える。
ちなみに中国ではトイレで使用したティッシュは外国人向けのホテル以外ではトイレに流さず近くのくずかごに入れるふうになっているのだが、列車に乗っている間、そのくずかごが掃除されたことはなく、阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈していたが、先にも書いた通りトイレが広かったのと、通気性が良いという良い意味でも、気圧コントロールができていないという悪い意味でも、ビジュアルがすごい割に思いのほか臭いを発していなかったのだが、これも僕の中では奇跡と呼ぶに等しいことだった。
こうなるととにかく除菌さえできれば良いと思うようになるのだが、世の中にアルコール入りのウエットティッシュというものがあることにこの上なく感謝した。
余談だが、洗面所は3つあってほぼ食べかすと嘔吐のせいでボールが詰まって使えなくなっていた。
標高5,072メートルのタンラ峠の前から高山病にはなっていたのだが、どのあたりが最も標高が高いとかそんなことを気にしている間もなく、それでいながらとてつもなく時間が遅く過ぎるような気がして列車は進む。
列車はカナダのボンバルディア社の車体でラサと同じ気圧にコントロールしているという触れ込みだが、途中で何度か停車してドアが開くのと、連結部分が空気を漏らさないような作りになっているようには見えず、そういうわけでもないのだろうなと思った。
寝台の頭の部分に酸素口があって、わずかに酸素が出ているようで、しんどくなってからはずっとそこの近くで呼吸をするようにしていたのだが、効いたのかどうかは全くわからないというか、効果があったふうには思えなかった。
ところで、寝台車の外に出ている人は皆体調に問題のない人なので、どれぐらいの人が気分悪くなっていたかはわからないが、うちらと同じ寝台スペースにいた中国人夫婦の奥さんも最初は元気でうちらに果物などを奨めてくれたのだが、途中から気分を悪くして寝込んでいた。
旦那さんはピンピンしていたので、うちらのコンパートメントでは4人中3人がダウンしたこととなる。
この過酷な環境を駆け抜ける道中、ひっきりなしにトラックやトレーラーが鉄道の脇にある道路を並走していたが、チベットへの物流はこれらのトラックと青蔵鉄道が一手に負っているわけである。
検索したところによると自動車での輸送量より鉄道での輸送量のほうが多いそうで、そう考えると青蔵鉄道で相当な量の物資を運んでいるのだろうなと思う。
また、青蔵鉄道は少し前にラサから230キロほど離れたチベット第二の都市であるシガツェに延伸したのだが、最終的にはカトマンズまで延伸する計画もあると聞く。
延伸したところで身体がヒマラヤ超えを許してくれるとはとても思えないので僕には乗る勇気はないが、中国のことだからやってしまいそうな気がするし、延伸したらこれまたとんでもない人気路線となるのだろうなと思う。
ラサ
2016年9月12日~9月16日
ラサに着いたのは19時半頃だったので22時間の列車の旅となった。
列車を降りると、外国人だけものものしいイミグレーションのようなところに連れて行かれる上、鉄道利用者以外は駅の150メートル以上近くには入れないらしく、いきなり政治的なマターを意識させられた。
今度はガイドとすんなり落ち合えたが、「二人とも高山病でかなりしんどいため、費用は気にしないのでどうにかできないだろうか」と相談したところ、小太りでニコニコした気の良さそうな若者の軍のお医者さんをホテルの部屋に呼んでくれ、「血中酸素濃度が75程度まで低下しているので点滴と医療用酸素の吸入をすることをお薦めする」と言われたが、同時に費用の話をされ、こちらで承諾してから点滴と酸素吸入を受け、高山病の症状は幾分か良くなった。
費用は一人38,000円で、保険を利用できるとガイドが言っていたので安心はしたが、あの体調であれば保険が効こうが聞くまいがそれぐらいの出費は全く惜しんでいられない状況でもあった。
ところでどれぐらいの割合で旅行者が高山病になっているかとガイドに聞いたら、「3分の1ぐらいですかね」と答えたが、その高確率に驚きつつも、うちは二人ともなったので、6分の1に入り、しかも二人とも医療を受けたので、そう考えるとかなりのヘタレぶりだなあと思った。
これまで幾度となく海外を旅行して旅行保険は毎度毎度合わせて2万円ぐらいずつ掛け捨ててきたのだが、今回で元を取るとまではいかないものの結構世話になってしまった。
あまりに高山病の人が出るようだと保険会社も考えるだろうなと思った。
なお、高山病は一度目の点滴を受けて幾分か良くなったが、下痢が止まらず、ラサ滞在3日目に胃腸炎対策の点滴を受けたらピタッと下痢が解消した。
ホテルは当初の予定では新市街のホテルの予定だったのだが、何故か旧市街にあるホテルに変更となっておりラッキーだった。
トイレや体調の不安なく散策をするにはホテルの立地は重要だし、せっかくラサに来たからには旧市街の中に滞在したいという気持ちもある。
また、ものすごくステキだったのは、ホテルの窓の外に、チベット人が昔から住んでいる長屋的な3層の建物が見えて、部屋に居ながらにして本当のチベット人の生活ぶりをしっかりと目に入れることができたことで、本当に良い部屋に当たったなあと思った。
ラサでの道中でも常に若者のガイドと中年のおそらくはチベット系のドライバーがついてくれていたのだが、二人ともとても良い人でそのこともラッキーだった。
見学場所の感想
言うまでもなくラサ観光のメインイベントとなるのはポタラ宮見学であるが、ここは到着日翌朝に見学した。
ポタラ宮の回りを五体投地している人々や、マニ車を持って念仏を唱えながら時計回りに歩いている人々がいるのだが、その中には観光客と写真撮影をするのを商売としているような子供と親もいて、「これだけ観光客が来ていればこうもなるわな」と思った。
見学はガイド同伴で時間指定の予約制で制限時間内に見学エリアを通過することが求められ、その間は写真撮影もできない。
ポタラ宮見学は最初に300段の階段を登って下りながら見学をする。
高山病の身としては実にハードな苦行のような様相だが、子供の頃からの夢だったのでテンションも上がる。
かつてダライ・ラマが生活し執務を取っていた宮殿内部は1,000以上の部屋で構成されていて、見学ルートはその重要なエリアを見て回るのだが、現在もそれぞれの部屋の中で僧がお経をあげていて、ポタラ宮の内装とバターランプと僧が唱えるお経が織りなす得も言われぬ空間にこちらがなんともトリップしそうな錯覚に陥る。
あの感じは言葉では表せないが、子供の頃から憧れ続けたポタラ宮は実にすばらしい空間であったとだけ書いておくこととする。
唯一残念なのはポタラ宮のてっぺんには高らかと五星紅旗が掲げられているということである。
ラサの街はジョカンを中心に形成されており、ポタラ宮を中心に形成されているわけではない。
ジョカンは7世紀に創建された吐蕃時代からの寺院で、チベット人の心の拠り所でもある寺院である。
ジョカンの周囲をバルコルという周遊路が取り囲んでおり、ジョカンの前で五体投地をする人もいれば、バルコルの周囲を五体投地したり、マニ車を持って時計回りに歩く人も大勢いる。
ジョカンの内部も撮影禁止だったが、バターランプの匂いがこみ上げる中、見事な秘仏の数々が絢爛と輝いていた。
ジョカン屋上から見るポタラ宮や広場や山々の景色は壮観そのものだった。
今回の旅行で最も印象的な景観だったように思う。
ラサ市北方にあるセラ寺は15時から中庭で修行僧による問答修行が行われることが有名で、ポタラ宮観光の後に訪れたのだが、問答修行は二人一組でずっと組み合わせを変えることなく行われ、立っている僧が独特のジェスチャーで手を叩いて問答して、座っている僧がそれに答えるという形式で延々と続けられているのだが、毎日これを行って、しかも、何問も何問も質問され続けるというのに、何故か僧はとても楽しそうに問答し合っていて、良い意味でとても不思議な感じがした。
ラサ市西北の山沿いに建つデプン寺はゲルク派6大寺院最大の巨大な寺で全部を見るのはとても無理なのでその一部を見学する。
見事な仏像に囲まれたお堂の中ではすごい数の少年僧がお経を読み上げる修業をしており、チベット人の老婆らが一人一人の修行僧にお布施を置いて回っていた。
高山病の影響で遠方のガンデン寺に行く体力はないのでキャンセルした代わりに、元の日程には入っていなかったノルブリンカ観光を入れてもらうこととした。
ノルブリンカも子供の頃から憧れていた場所なのでガンデン寺に行くより逆にありがたかった。
ノルブリンカは4月から9月までの間、ダライ・ラマが執務を取る夏の離宮で、中は音響設備が整っていたり、トイレつきシャワールームがあったり、結構モダンな内装となっていた。
ダライ・ラマ14世は1959年3月10日にノルブリンカからインドに亡命したのだが、その時の時刻が21時だったということで、時計の針がその時間で止められていた。
征服者である中国共産党に対するチベット人からのメッセージなのだろうと思う。
ヤルツァンポ川とヤムドゥク湖は郊外にあるのだが、ヤルツァンポ川は空港近くを流れており、ラサから1時間近くかかる場所にある。
最終的にはバングラディシュのダッカ付近でガンジス川に流れ込むブラマプトラ川である。
ガイドはヤルツァンポ川がガンジス川の本流であるかのような認識を持っていたが、昔、デリーからヴァナラシまでガンジス川沿いに旅した者としてそれは違うとわかってはいたけど、何も言わないでおいた。
とはいえ、雨季だったこともあり、想像をはるかに上回る川幅と水量と景観の良さにビックリした。
「トルコ石の湖」の意というヤムドゥク湖はラサから3時間かかり、かつ、ラサより1,000メートル以上標高が高いところまで登るので体調面が心配だったが、なんとか辿り着いた。
湖の湖面の色や氷河を見渡せる景観は確かに見事なものだったが、途中の限りなく雄大ではあるものの荒涼とした変化の乏しい自然を見て、景勝地までわざわざラサから3時間もかけないと行けなかったことを思うと、日本は緑が限りなく豊かで変化に富むため、もし3時間も車に乗れば国内のどこにいたとしてもいくつでもすばらしい景勝地はあっただろうなとも思った。
その他所感
チベットへの旅行手配の時点で自由散策時もガイドが常に付き添うルールになっているのだが、私の滞在中はガイドと別れてからも街中を自由に散策することが可能だった。
ガイドがついて回るというのは建前上の話なのかもしれないし、政治的なマターが起きれば実際にそうなるのかもしれない。
旧市街は主にチベット人が住む昔ながらの市街地でジョカンを中心に形成されているのだが、バルコルに至る道には必ず検問があって、荷物検査が行われている。
政治的な活動や抗議の焼身自殺などを防ぐ目的があるのだろうが、あまり気分の良いものではない。
ガイドは寺院を回る間、歴代ダライ・ラマの話をしていたが、現代の中国ではチベットではパンチェン・ラマをチベット仏教の指導者として据えている。
しかし、パンチェン・ラマは亡命チベット政府側と中国政府側の双方にいて、チベット自治区内では中国政府側が立てたパンチェン・ラマが最高指導者ということになっている。
もちろん、こちらのパンチェン・ラマは中国に逆らうような発言はしない。
学校でのチベット語教育は初等教育のみでそれ以降は中国語のみでの教育となるらしいが、文化というのはこのようにして淘汰されていくのかなと思う。
中国の資金と人が大量に投入されたラサはもはや完全に中国の一地方都市並みの近代化を達成してしまっている。
新市街にはショッピングセンターもあれば、ラサ駅前に小さな遊園地まで作られている始末で、ある意味嘆かわしいと思う人もいるのかもしれないが、それが現状なのである。
成都
2016年9月16日~9月18日
成都の標高は500mぐらいなので高山病とは完全にお別れだが、パートナーの胃腸の調子はむしろこちらで悪化した。
そのような体調で四川料理や陳麻婆豆腐店で麻婆豆腐を食べた根性はさすがだと思った。
成都の空港に降り立った瞬間に、やっぱりかと思ったのだが、視界がガスで覆われていた。
西寧とラサの空気がきれいだったので少し期待していたのだが、甘かった。
ホテルまで送り届けてくれたガイドの青年は上智大学に1年間の語学留学をしたことのある青年で、その時の生活が相当楽しかったらしく、車に乗っている間、日本での生活と日本人の気質についてあれこれ褒めていた。
成都といえば武候祠博物館と成都パンダ繁殖研究基地が有名でそれ以外には杜甫草堂程度しか知られていないのだが、観光地云々というよりは代表的な中国内陸部大都市である成都を歩くことで現代中国の内陸部都市の様子の観察ができればと思っていたので、逆に観光地が少ないことはこちらにとって好都合でもあった。
街の印象としては環状道路網などが整備され、緑が多く、車線数や歩道の道幅が広くハード面ではかなり充実しているように見受けた。
渋滞もあるにはあったが、救いようがないというほどでもなかった。
1,400万人都市なので繁華街は相当な規模で、人も多くて賑わっていた。
どちらかといえば小売店の比重が高く、飲食店やサービス産業の店舗が少なかったように思った。
なので、ご飯を食べる店を探すのに苦労した。
イトーヨーカ堂や伊勢丹もあって、細部をあれこれ挙げなければ日本との差異をあまり感じさせなかった。
観光面での感想は以下の通り。
成都パンダ繁殖研究基地には到着日翌朝にタクシーで行ったが、混雑はしているもののさほどでもなく、ゆっくりとかわいらしい子パンダを見ることができた。
武候祠博物館は三国志大好き人間として絶対に外せないスポットで、建物と像と立派な庭があるだけといえばそうなのかもしれないが、訪ねたことに大きな意義があった。
隣にある錦里という昔の街の様子を再現した体の観光スポットも雰囲気の良い商業エリアで、またほど近くにチベット人街もあったので、チベット帰りではあったが見学した。
同じような昔の街並み復興型の商業エリアに寛窄巷子があったが、ここは京都の二年坂の成都版のような場所だった。
琴台路という商業エリアにも立ち寄ったがここはあまり大したことがないという感想を持った。
他に行った場所に青羊宮という道教の寺院があったが、道教の寺院に行く機会はあまりないので良い経験になった。
機内
2016年9月18日
7時発の飛行機だったので、4時半起床、5時ピックアップ、5時半飛行場着というスケジュール。
北京9時半着、ラウンジで休んで、北京12時50分発、羽田17時20分着、少し土産を買って、羽田18時前発、18時半帰宅という結構ハードなスケジュールとなったが、また北京でラウンジを使ったのと、羽田着なので疲労は最小限に済んだ。
高い年会費だが、ラウンジのビュッフェでご飯を食べて、ふかふかのソファーでくつろぐとだいぶ疲れが取れるので助かった。
雑感
旅程と費用
今回の旅程は8泊9日の夏休みとしては標準的なものとなったが、翌月曜日が休みだったので帰ってきて翌日出社という悪夢と時差ボケがなかったのは精神衛生上すごく良かった。
ドイツ・ベネルクス62万円、ギリシャ56万円、モロッコ58万円、ロシア・北欧62万円と、夏の旅行で使用する総額は毎年だいたい60万円程度なのだが、今回はツアー代金と保険だけで72万円程度かかった。
しかし、食事等全て込み込みなので現地で使用した金額は3万円強程度で、総額では75万円程度となった。
モロッコだとか中国のように英語が通じなかったり、交通の便があまり良くなかったり、切符を買うのにも苦労があったり、人件費が安かったりする国の旅行を手配すると、空港や駅に到着してから次に列車や飛行機に乗るまでの間、ずっとガイドとドライバーが着くようなセレブな旅の手配が標準的になされるようで、そういうこともあって先進国を旅行するのと変わらない額がかかるのだが、旅行中はセレブな過ごし方をすることとなる。
気候など
西寧もラサも乾燥しているが、ラサは雨季だったので、深夜と朝は天気が良くなく雨が降ったりして、昼頃から晴れてきて気温が上がるといった感じであった。
ずっと長袖で過ごしていたので寒いとは思わなかった。
成都は湿度も高く東京と変わらない気候だったが、先にも述べた通り、西寧・ラサと違ってPM2.5に覆われていて視界は悪かった。
ただ、上海でもそうだったが、PM2.5を含む空気に臭いがあるとか違和感があるといったことは身体的には感じず、霧の中にいるような感覚だった。
まあ、それが霧ではないのが恐ろしいところだが。
成都ではキンモクセイが咲いていて、その時期は東京より二週間ほど早かったように思う。
食に関して思ったこと
やはり中国は食事に関しては言うことなしの美味しさである。
先にも書いたけれど、西寧での食事は全てガイドにアレンジしてあったのだが、中国西北部が粉食文化圏であるからか、ガイドの好みがそうなのか、ガイドが西寧をそういう風に紹介したかったのかはわからないが、西寧に滞在して食べた4食全てが麺だった。
でも、シルクロード麺街道と思って麺食文化を味わった気になれたのは良かった。
ラサでは正直高山病で体調を崩していたので食を味わう余力がなかったのが残念なのだが、ガイドによるとお店でのチベット料理というのは後でアレンジされて生み出されたもので元来のものではないという。
確かに、栽培できる植物は、はだか麦などの品種に限られ、野菜がほとんど採れず、主な食事は麦焦がしやヤクの肉とバターとミルクに頼らざるを得ないので仕方ないといえば仕方ない。
北京・上海・成都あたりを見る限り、中国の食事は台湾や香港と遜色なく、むしろ、八角と臭豆腐(成都ではいくつか臭豆腐の店を見かけたが)の臭いにまみれた台湾よりいいなあと思う面のほうが多いぐらいなのだが、デザートの貧弱さは印象に残った。
おそらくは台湾や香港のデザートも後でできたものなのだろうと思う。
中国人は身体を冷やすことを嫌うためか、常に暖かいお茶かお湯を入れた水筒を持って歩いている。
この習慣は見習ったほうが良いかもと思って私も帰国後はできるだけ水よりお湯を飲むようになった。
交通・道路に関して思ったこと
高速道路の作りが日本そっくりとは上海の項で書いたが、上海ほど洗練はされていなくてもこの辺境地域にまでよくもまあこんなに立派な道路網を敷いたものだと思わせる高速道路網だと思った。
ただ、高速道路を走っている途中で「まだ大丈夫だからしばらくしたらトイレに行きたい」とガイドに伝えたところ、山間部だったとはいえ、すぐに路肩に止めてその辺で立ち小便をしてくれと言われ、ガイドとドライバーと私の3人で適度な距離を置いて立ち小便をしたのだが、サービスエリアのようなものも見当たらなかったし、その辺は中国的だなと思った。
サービスエリアはないとはいえ、全く見分けのつかない同じような飲食店が沿線に夥しい数存在しており、どこも全く差別化できていないように見受けたのだが、あれでよく商売が成り立つものだと不思議に思った。
上海と同じくラサも原付バイクが電動だったのだが、音が全くせず、運転も危険なので怖かったが、日本の恐ろしく臭い原付の排気ガスの臭いを思うと中国のほうがこの面においては断然エコだと思った。
ただ、どうやら自転車と同等の扱いで免許を必要としないのだろうと思われ、相当若い層も乗っているように見え、危険性は相当なものである。
先にも書いたが、成都は環状道路の整備がきちんとなされ、道幅も広く、緑地も多く、都市計画がかなりしっかりしている印象を受けた。
青海省もそうだし、省都の西寧なんてほとんどの日本人は知りもしないような都市だと思うが、人口200万人のそれはそれは巨大な都市だった。
あれが鬼城なのかどうかはわからないが、誰も住んでいなさそうな新築のマンションがやたらとたくさんあったのは気になったのだけど…。
その他気づいたこと・思ったこと
豆知識として得たことに、チベットではトヨタ車が特別に人気があるということがある。
他の国でもトヨタ車の人気が高いのは途上国に行けば行くほど良くわかるが、その理由はその高性能と圧倒的な低故障ゆえであり、特にハイエースのような作りが簡単で修理しやすい車の人気が高い。
しかし、チベットでトヨタ車の人気が高い理由はトヨタのマークがヤクに似ているからということらしく、チベットでトヨタは「ヤク車」と呼ばれているらしい。
トヨタも思いがけず「ヤク特」だなと思った。
ラサの犬のかわいさのレベルが異様に高いのでアルバムにまとめた。
先にも書いたが、和式トイレと洋式トイレがあれば、和式トイレにのみ列ができて、洋式トイレはガラ空きのことが多く助かったとパートナーが言っていたが、どうやら洋式トイレはとても人気がないらしい。
アルコール入りティッシュで除菌すれば一通り殺菌できると信じて利用できると思うのだが用心深いのだろう。
言わなくてもわかっていること、かつ、あまり触れたくないことだが、中国人の痰吐き・ゲップの遠慮のなさと音のすごさには驚く。
女性が痰出す際に喉をカーっと鳴らす音の大きさですら半端ない。
麺類などを食べる際に器を持ち上げる文化にはないのだろうが、多くの人が器に口をつけてすするように麺を食べていた。
全体的に音なども全く気にしていないようで作法のようなものは個人的には見受けなかった。
まあ、中国だから仕方ないですわね。