先日はハワイに行ったが、海外に行っていつも思うのは日本人のデザイン感性の低さである。
家電も家具も家も車も日本製の製品というのはデザインの平均値が圧倒的に低いように思う。
壊れにくいし、品質が良いのはわかるがデザインのレベルはどう見ても低いのだ。
雑誌なんかを見ても海外の普通の製品は日本のものよりシンプルでカッコいいのに、日本の製品は大抵は見た目がカッコ良くない。
余計な曲線やへこみやでっぱりがあったり、使いもしない機能ばかりが多かったりで嫌悪感を抱くものばかりだ。
ハワイに行った際に安いデパートの家電を見たが、家電のデザインが武骨でシンプルで日本のものより俺にとっては圧倒的に優れていた。
デザイン力で食べているヨーロッパならともかく、アメリカの安いデパートにですら全くかなわないのである。
一昨日、10年ぐらい使っているためそろそろ買い換えようと思い、ドラム式洗濯機を見ようと新宿のヨドバシカメラに行ったのだが、欲しいものが一つもなかった。
ハワイでは「これいいいじゃん」の連続だったのに、新宿のヨドバシカメラのコーナーの端から端まで見て欲しいものが一つもないなんてどうかしているとしか思えない。
デザイン力で日本製に圧倒的に差をつけて日本のシェアを奪ったというのはよく言われるが、残念なことに電気屋で見るデザインの良い家電は大抵は韓国製だったりする。
もちろん韓国製など買わないが、韓国嫌いの僕が言うのだから間違いない。
ただ、売るほうはバカではないので売れないものを置くわけがない。
この国では俺にとってとんでもないデザインの製品が売れるからああいった製品ばかりが置いてあるのだ。
しかも、日本の電気屋というのはどこも異常にうるさく不快だ。
そういう騒音をたてたほうが売れるのだろうし、そういうのをマーケティングというのだろうが、あの騒音があるほうが購買意欲がわくという人が多いのが日本人の平均的な姿なのだろうと思う。
なので、僕は供給側が悪いとは思わない。
悪いのはああいったものを欲しがる人が多数派であるこの国だ。
これは僕の仮説だが、人は美しくないものに慣れてしまうと、美しくないものを受け入れるようになるのだろうと思う。
ヨーロッパの街の美しさの平均値が日本とは比べ物にならないぐらいに高いのは行ったことがある人なら誰でもわかっている事実だ。
そして、ヨーロッパの製品はデザイン的にすぐれたものが多い。
美しくない街に住んでいるから、美しくないものに目を慣らされているから、美しくないものを拒絶せずに受け入れるのだろうと思う。
江戸時代の町の美しさは当時の外国人を驚かせたし、今でも京都の古い町並みの美しさは我々を感動させるが、今の日本の平均的な街並みの美観のレベルは先進国最下位といっても差し支えがないほどに低い。
ところで、ハワイには肥満体の人がとても多い。
あれを問題だと思わないのは、肥満体を見ることや肥満体であることに慣れているからだ。
慣れというものは怖いものである。
日本の製品は曲線やへこみやでっぱりがあることでデザインを台無しにしている場合が多いため、そのアンチテーゼとして±0ブランドのようなものもがんばって存在しているのだが、現実はシンプルなデザインものよりそうではないデザインのものが売れるので変な曲線やへこみやでっぱりが幅をこの国では幅を利かせてしまっているのだ。
普通に考えればシンプルなデザインのものほど簡単にできるはずなのに、この国ではシンプルな製品を求めようとすると価格がとんでもなく高かったりする。
僕はこれを勝手に「シンプルフィー」と呼ぶことにしている。
こういったものやこういったものが高価格になってしまうのがこの国における悲劇なのだ。
話は変わるが、マンションのモデルルームやチラシなんかを見ても「この部屋に住みたいか?」と俺は思うことが多いのだが、あれを見て「この部屋ステキ!」と思う人がいるからああいったものが売れるのであろう。
経年劣化をいかに抑えるかということにばかり作り手の情熱が割かれ、買ったときが頂点で年数が経てば経つほどに劣化する工業製品的にプリントされただけの安っぽい部品ばかりで作られた部屋がそんなにいいのか俺にはわからないが、一つ一つのパーツの風合いなどに目もくれずに全体の雰囲気だけを見てああいうものをステキと思う感性が日本の平均的な姿なのだと思う。
本物と偽物の識別も平均的な日本人が苦手とする分野なのだろう。
テレビに映る一般的な日本人の家の中の散らかり方やインテリアの醜さに閉口することがあるが、日本人の美的センスの圧倒的な低さは本当にどうしようもないと断じざるを得ないと思う。