未踏の紀伊半島へ
前から紀伊半島のほうを攻めていなかったので、今回、紅葉のすばらしい季節に会社の同僚の計らいもあってバースデー休暇と連休をくっつけて4日間の旅に出た。
旅の感想
信楽
新宿から深夜バスに乗って6時半に大阪駅に到着。
当然、疲れが取れるわけがなく、年齢も考えて、もうこんな無茶な移動はやめようとこの時点で思う。
新大阪駅に移動後レンタカーを借り、名神高速から平等院付近で下りて宇治川を上って信楽へ。
予想した通り、それ以上でも以下でもなくたぬきさんたちが迎えてくれた。
朝早かったせいかほとんど人気のない中、窯元の街を散策した。
青山高原
前から行ってみたいと思っていた青山高原だったが、あいにくの天気だったこともあり、思ったほどの景色を目にすることはできなかった。
風車がたくさんあったのだが、そこそこ風が吹いていたのでグルグル回っていた。
伊勢
正式な参拝順序に則って、外宮(げくう:豊受大神宮)から参拝。
内宮(ないくう:皇大神宮)に至る道には門前町が充実しており、情緒を残したまま今日も栄えていて大満足。
これらで心と腹を満たしてから参拝した。
鳥羽・志摩
多くの旅人は鳥羽水族館やミキモト真珠島や志摩スペイン村といった場所でも楽しむのだろうが、日程上の問題もあって行けなかった。
でも、オイラはこの鳥羽・志摩の海岸美だけで大満足。
夕方と早朝の二度にわたってパールラインをドライブした。
熊野三社
伊勢神宮という日本で最高の格式を持ち、かつ、全国から参拝客が集まる神宮がそう遠くない場所にありながら、何故、熊野に立派な神宮が三社も存在し、なおかつ、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどの多数の参拝客がこの険しい道をかつて行き来していたのかわからないが、三社とその参詣道である熊野古道が世界遺産にまでなった価値は認めねばなるまい。
軟弱な現代人である私がその道を古の旅人よろしく歩くというようなことはなかったわけであるが、三社も那智の滝も立派であった。
高野山
昔から高野山という場所が気になっていたのだがやっと訪れる機会が来たといった感じであった。
また、宿坊に泊まれるということを知り、楽天でちょちょっと予約して宿坊に宿泊したのだが、晩秋の高野山の寺というロケーションが寒いのはあたりまえで、実際寒かったのだが、部屋には暖房やこたつがあり、かなり美味な精進料理を食べながらも不精にビールなんぞを飲み、写経とはいってもほろ酔い気分で調子に乗って書く始末。
快適なのに寺の情緒も味わえ、とても満足して寝た。
翌朝は希望者のみ6時半から供養と護摩行に30分ずつ参加できるということなので当然参加。
供養はだだっ広いお堂で行われたが、これが相当厚着してても結構寒い。
私は日本人だからまあ大丈夫であったが正座していた外国人は足がしびれて立てなくなっていた模様。
私の実家が神道で仏教さらには密教のことを何も知らないこともあり、貴重な体験を得られた。
そして、護摩行は今回の旅行の中でも特に印象に残る出来事となった。
別のお堂に移動し、護摩行がとり行われたのだが、とてつもなく寒いお堂の床にはなんと旅行者思いの電気カーペットが!軟派ながらもステキ!と思っていると、護摩行を執り行うお坊さんがこれまたダルビッシュ選手似の大柄で若いイケメンのお坊さんではありませんか…。
ダルビッシュ僧が執り行う神秘的な動作と、「火事になるんじゃね?」と思わずにはいられないほどに激しく燃える炎に見入り、かつ暖を取り、濃密なことこの上ない行の時間が過ぎていった。
ちなみにおばさま御一行は供養も護摩もパスして朝食から1日を開始されたようであった。ああもったいない。
高野龍神スカイライン
紀伊山地の尾根を走る快適ロードで、こっち側が和歌山でこっち側が奈良って感じがして尾根を走っている感はあった。
とはいえ、これは関西全域にいえることだが、甲信エリアを頻繁に走っている関東のドライバーには関西の山岳ドライブは物足りなく感じるかもしれない。
まあ、高い山があるかどうかってだけの話なんだろうけど…。
飛鳥(明日香)
中学校の修学旅行の際にサイクリングした思い出が強く残っていて、もう一度訪れたいと強く思っていた明日香村。
飛鳥時代に都があったとはいえ、遺跡自体はあまり原型をとどめていないような考古学的なものばかりなので、過去に思いを馳せる程度のことしかできないが、「日本のふるさと」とでも形容したくなるような牧歌的な光景は頭に残っていた記憶とほぼ完全にマッチしており、来て良かったと心から思った。
信貴・生駒
信貴・生駒から大阪方面の夜景も昔から見てみたかったので当然のごとく敢行。
立派な夜景が見えたけど、神戸や札幌と違って市街地までの距離が遠い分、光量は幾分か少なく感じた。
都市の大きさとしては大阪のほうが断然大きいのだが…。
まあ、東京の場合、どこまでも広がる関東平野があるため東京の街を見渡せる高台なんて存在しないのだからそれでも十分である。
でも、ここから大阪を眺めて、「前島密が大久保利通に、大阪遷都を思い直して後背地の広い江戸遷都を薦めたのもこの狭い平野を見ればわかる気がするなあ…」なんてことを考えていた。
天理
ここも前から来たかった都市。
街中に宗教的な建築が建っているだとか、街の中央部の「ぢば」と呼ばれる場所に礼拝場があって「かんろだい」と呼ばれる祭壇が据えられているとか、気になることを実際に目で確かめたくて来た。
礼拝場には夜も早朝も絶えず信者が礼拝場に吸い込まれていっていた。
男も女も、老いも若きも学生達も、黒髪も茶髪も自然な様子で決まった作法に則って神殿に吸い込まれていくので、ここの人たちはわざわざ宗教をやっている感覚ではなく、日常生活の流れで自然にこれをやっているという感想を持った。
天理教はまだまだ安泰だな…と思った。
オープンになっているのでその気になれば私も礼拝場の中に入れるのだろうが雰囲気的にそれができない何かがあった。
「ぢば」に僕らを寄せつけない磁場があったのだと思う。
関係ないけど、屋台のラーメン屋がいくつかあって、その一つで食べたのだが、白菜と豚が入った独特のラーメンはなかなか美味だった。
奈良
車でなければなかなか行きにくい場所なので久々に回れて良かった。
薬師寺の平山郁夫画伯の壁画をずっと見たかったのだが、これは想像していたより大きな感慨を得られなかった。
奈良市街地は次回電車で来た時にゆっくりと見ることにして今回は割愛した。
大阪
ほとんど渋滞に巻き込まれなかった今回の旅で初めて結構な渋滞に巻き込まれたのだが、その原因がイオンだということをボトルネック通過時に知り、イオンに対して立腹。
大型小売店は開業前に影響予測というものをして渋滞の回避策を講じるのだが、それにしてもすごい渋滞だった。
ちなみに僕の前職はこの影響予測をするのも仕事の一つだった。
宗教施設ばかり回る旅だったが、最後は大阪のアメリカ村や心斎橋で食うだけ食って帰京した。