GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

スポーツでプロになる夢は大抵挫折すると教えるべき!

スポーツの不正事件が起こるとすぐに「子供たちの夢を奪う」という言葉が使われる。
金を出しているのは主に大人の客なのだから、別に金も出していない子供よりまずは大人の客を向けと言いたい。

それに、「どうせほとんどは努力してもアスリートとして成功できないのに子供に残酷な夢を与えるな!」とスポーツ界に対していつも思っている。

 

サラリーマンを目指して経済的にそこそこ成功できる可能性が仮に70%だとしたら、アスリートとして経済的にそこそこ成功できる可能性は1%にも満たないのではないかと思う。

追跡調査をせずとも想像がつくが、アスリートには選手寿命というものがつきまとっていて、仮に成功したとしても引退後の生活が不安定なことは多いのだから、「あまり子供を煽って夢を見させなさんな」と言いたい。


どう考えてもスポーツなんてのは素質が95%以上なのだから、努力を説いたりせずに、ほっといても異常に上手い子や、本当に好きな子だけにプロを目指させれば良いのだ。

 
今の日本は、生まれた時にはどんな子供も何にでもなれると思わせてくれる“可能性に満ちた”社会だ。

でも、本当は「生まれ持った才能」という壁に阻まれて大きな夢を見た者は大抵挫折を余儀なくされる。


それに大抵の日本人は宗教を持っていないから来世に期待しながらそのための徳を積んで生きることもできない。

学生の頃にインドで「諦観」を持って生きている人々をたくさん見てきたが、あれはあれで気楽で幸せそうだった。 


スポーツにはさまざまな効用があろうが、スポーツでプロを目指すということは挫折を余儀なくされる最たるものだ。

どうせプロフェッショナルを目指すなら料理人だとか職人で目指すほうがよほど役に立つ。

 
関係ない話だが、オリンピックのメダルを増やすために国策として取り組む各国の姿勢には強い疑問を感じる。

国威発揚だかなんだかわからんが何のためにそんなことをするのかと思う。

むろん、「スポーツ省」や「スポーツ庁」の新設など噴飯ものだ。

興行性や文化性が求められる大相撲じゃあるまいし、オリンピック選手は国を背負う必要がないと思うし、選手に国を背負わせようとする人間は自分がその選手を抜いて代表になるべきだと思う。

スポーツで国威を発揚しようとするような国なんて本当に野蛮な国だと僕は思う。

 
先日シンクロの井村氏が、身長160センチ台の選手ばかりの日本が170センチ台の選手を集めた他の国に挑むというのは竹やりで戦車に挑むようなもので、もっと素質の良い子を集めて取り組むべきだというような旨の発言をしたらしいが、アマチュアスポーツに対してなんと本末転倒で品格のない発言をするものよ思った。

でも、同時にそのように素質を最重要視しなければならないのがオリンピックスポーツの本質的な面だとも思った。

 
あと、人間全体レベルで見た場合、黄色人種ことに日本人はほとんどのスポーツにあまり向いていないことは明白なように思う。

陸上短距離だとか、バスケだとか、ラグビーだとか、世界レベルになるつもりであればハナからやらないほうがマシなスポーツは本当に多い。

 
その点、柔道は日本人に向いている。

この競技は背が低かったり足が短かったりしてもあまりハンデにならないし、引く力が強く押す力が弱いと言われる日本人の特徴を生かせる気がするのだ。

フランスの半分以下の競技人口しかいないのに金メダルが多いというのも特徴だ。

だからといって柔道をやりたいかといえば別の話で、ことに女子の柔道は観るのもやるのもちょっとな~という気がする。

また、男女の層の厚さの違い極端に違うスポーツについて思うのはそのことがさほど問題にされないという点に対してである。


全然関係ないけど、総合格闘技で活躍できるのは柔道家レスリング選手と相場が決まっている。

間違っても相撲取りやボクサーは活躍できない。

 
僕はここで述べたような考えを全体的に持っているので、格闘技以外についてはあまり大真面目にスポーツを見ないのだ。

格闘技はケンカの延長なので熱くなりますわな。

でも、最近はオリンピックが東京に来たらおもろそうとも思ったりはする。

メインスタジアム予定地まで1キロちょいしか離れていない場所に住んでいるからそれはそれで怖くもあるのだが…。