GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

ブログを書く上でのポリシーと幸福論

古代中国思想の中庸知足を持ち出さずとも、上がる・得る喜びよりも下がる・失う喪失感のほうが大きいので、何事もほどほどなのが一番ということは人生の要諦なのだが、このことに気づかないまま生きるとマジで損をする。

 

過去にも、本ブログは自分の書きたいことを書き、アクセス数は追求しないということを旨としていると述べているのだが、書く以上はアクセス数が少ないよりは多いほうが励みにはなるし、ブログ村のランキングも気にはしていないものの下位よりは上位のほうが良いだろうとも思う。

現在のアクセス数は日に100~200アクセス程度なのだが、これを多いと思うか少ないと思うかは完全に本人次第だと思う。

機械が踏んでいたり、表示したものの実際には読まれていないこともあるだろうが、週に1回程度しか更新していない独りよがりなブログのアクセス数としては個人的には満足している。

同時に、仮にアクセス数が日に1,000アクセスに増えたとして、それが100アクセスに比べてどの程度うれしいかもわからないし、その喜びが100アクセスの頃よりも大きいままで持続するかといえばそういうことはないだろうとも思う。

逆に、日に1,000アクセスだったのが100アクセスに減ったら増える喜びよりも減る喪失感のほうが間違いなく大きいだろうなと思う。

 

もし、下手に有名になってものすごい数のアクセスを得るようになったら、長い目で見て日に10アクセスしかない場合よりもむしろ幸福感が阻害されるようになるのではないかと思う。

注目を浴びることにプレッシャーを感じたり、アクセス数を追求することに必死になってしまったり、反響によって書く内容を選んでしまったり、注目が減ることに対して喪失感を抱いたり、ブログを通じて承認要求を満たそうとしたりする図を想像するだけで恐ろしい。

そして、下手するとブログを書く上で最も大切であると断じても良い無名性まで失う図を想像すると本当にろくなことがないと思うのである。

無名性は匿名性と言い換えてもいいのだが、匿名という言葉は正体を伏せて実名では言えないことを言うというニュアンスも併せ持つ。

俺は匿名で書いているけど、どの街に住んでいるかを書いていれば、さまざまな属性や出来事についても多々書いていて、本ブログは決して匿名ブログとは呼べないと思うので、実名で書いている心持ちで書いているのだが、そんなことよりも、取るに足らない泡沫であることが代えがたく大切と思っているわけであり、それであえて無名性という言葉を用いている。

 

なお、俺がブログを書く上で譲れない一点は「書きたいことを書く」という一点である。

無名人が読まれるためのブログを書こうと思えば、読み手が求める内容を書いたブログを書くというのが最大の近道であろう。

しかし、読み手が求める内容、読み手におもねる内容を追求するとどうしても「書きたいことを書く」という一点を守りきれないように思うのである。

もちろん、読み手が読みたいことと書き手が書きたいことの二者に共通する要素はあると思うが、全てが共通するということは断じてなく、必ずどちらかを優先させなければならない場面が出てくると思うのである。

そういう時に俺は迷わず書きたいことを書くというほうを取るということなのである。

もちろん、一度ぐらいは読み手が求めるブログを書いてアクセス数を追求してみてはどうだろうと考えたこともなくはないのだが、そういう気にはなれない。

読みたいことを書くのがプロフェッショナルの仕事とするならば、書きたいことを書くのはアマチュアのやることである。

俺は、他律・不自由なプロフェッショナリズムよりも自律・自由なアマチュアリズムを強く重んじるがゆえに何にも縛られない仙人のような生活スタイルを送れるような生活環境を整えたのであり、ブログを書くことにおいてもその一点だけは頑なに守らねばならないと思っているわけであり、だからこそ「俺」などという不遜かつ極めて好感度の低い一人称を用いているのである。

余談だが、俺が友人とLINEでやりとりする際に用いている一人称は「わし」である。

 

あと、誤解のないように述べておくが、どうしても社会に伝えたい・問いたいことがあって、強い情念を持ち、プロフェッショナルの心持ちで何かを記すことの尊さは俺ごときが駄ブログを書くこととは比べ物にならないほどに尊いことであり、ないとは思うが、仮に俺にそれだけの情念が湧いたならば、プロフェッショナルの心持ちで文章を書きたくなるかもしれないとは思う。

 

なお、「転石苔を生ぜず」という意でのローリングストーンとでは一般的にはローリングストーンであるべきと語られることが多いが、俺は苔でありたい。

ローリングストーンはあれこれといろんな変化をして、変化の中で進化を遂げるということだが、プロフェッショナルなビジネスの世界では確かにそういった姿勢が強く求められるであろう。

しかし、外部刺激的・非日常から得る満足よりも、内的・日常のなかにあるささやかな満足を重視する「わびさび」のような姿勢が、自分の幸福を追求するのにとても適していると俺は考えている。

そういうわけで、俺は今43歳だが、27歳だった2004年からひと月も空けずにしつこく続けている本ブログは、無名のまま盛り上がりも盛り下がりもせず、淡々と細々と単調に百年一日のごとく、自分の内的な日常に溶け込ませて苔のように続けていきたいと考えているのである。

 

以下余談。

一昨日に隅田川河川敷の階段でネズミの死骸を見つけた。

連絡したのは俺だけではなかったかもしれないが、暇人の俺が昨日の午後に当局に連絡したら、本日の午後に高齢の職員さんが来て回収してくれた。

外は涼しいけど腐敗し始めたらどうしようと思ってずっと心がざわざわしていたのだが、迅速に回収してくれて本当にありがたかった。

 

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f:id:gooddays-shumai:20200715233500j:plain浜離宮庭園ではキバナコスモスが咲いてます! 

 

梅雨と真夏の話から大都会の自由さについて

豪雨で被災した方々にはかける言葉が見つからないのだが、一般的な感想として梅雨の時期って季節的に本当に過ごしやすいよな~と思う。

子供の頃に宮崎に住んでいた頃は梅雨といえばザーザー雨が降っていた記憶が強いが、東京の梅雨はそのようなことはなく、雨がしとしとと降るだけで心地が良い。

実際に宮崎は6月、東京は9月と10月に最も降水量が多い。

と書きつつ、「ちょっと前にも同じことを書いてるよな?」と思って確認したら、つい昨年に同じようなことを書いてしまっていた…。

東京タワーのライトの色がホワイト色になるのが嫌だと毒づくのも毎年の風物詩である。

ちなみに今日の時点ではまだオレンジ色である。

 

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確かに、雨の日に出勤しなければならない人がブルーな気持ちになるのは理解できるが、俺のように何の用事もない人間にとっては、雨が降っている時には外に出なければ良いだけで、曇りの時間や日が射す時間を選んで外出する分には外気がひんやりとして気持ちが良いし、一日中気温がほとんど変わらないという点においては、朝晩に冷え込んだり花粉が飛んだりする春や秋よりも過ごしやすいとすらいえる。

一日中暑くも寒くもなくあまりに心地良い気温なので、就寝時も含めて、家に居る間はずっと窓を開けて、家を通り抜ける風を感じ、浸ることができる。

マンションの中層階に住んでいるのでカビや湿気も気にならない。

 

しかし、そうやってうそぶいていられるのはあと少しである。

俺が一年で唯一にして大嫌いな季節は梅雨明け後のクソ暑い時期なのだが、その忌まわしい季節が刻一刻と近づいている。

昼間しか外に出ない俺のような人間にとって、毎日晴れている東京の冬は宮崎の冬と同じくかなり快適なので、余計に真夏の極悪ぶりが際立って感じられる。

当然ながらこの季節は自由に外を散歩していたコロナ自粛時よりも外出の頻度が少なくなる。

本当に残念な季節である。

 

昔から、日本の酷暑から逃げるために海外旅行に行くというわけでもないのに酷暑期に夏休みを取ったり田舎に帰省したりする人々や習慣、酷暑期に祭りや花火大会をする習慣などには違和感しかなかったのだが、このたび政府は7月22日から「Go To Travel キャンペーン」を始めるという。

避暑地に行くのであればともかく、いくら安くなったとしてもワーストシーズンに飛んで火にいる夏の虫的な旅に出るほど俺はバカではない。

業界を助けるためとはいえ、なんとも悪趣味に思える事業である。

 

また、実際にどれほど東京差別があるのか知らんが、東京の新型コロナ感染者数が増えていることに最も「不気味だし嫌な感じだな~」「勘弁してよ~」と感じているのは東京都民なのに、それを堂々と差別する声をネット上などで数多く目にすると、実際に差別的な発言をする人が少数派だったりしても、だんだんと「地方になど行くか!」という気になってくるし、地方でカネを落とそうという気もどんどん失せてしまう。

もちろん、観光客の恩恵を受ける人と差別をするような人とでは置かれている状況や考えが違うというのは良くわかるのだが、欧米のように死人が出まくっているという状況ではないのに、地方自治体の長も含めて東京都民を病原菌を扱うように発言するのはどうなのだろうかと思う。

そりゃ~誰もが新型コロナウイルスに感染したくないというのはあたりまえのことであり、新型コロナウイルスを拡散しないための分析的かつ妥当性の高い意見を述べるのも当然のことである。

しかし、そうとは思えない単なる差別発言や書き込みが多すぎるように思う。

差別行為を徹底的に非難していく姿勢というのは現代世界に生きる人々の共通認識であり、差別的な言動はきちんと非難されるべきである。

もちろんANTIFAのような間違った反差別運動は論外だが、日本国内で新型コロナ禍における差別を無くしていこうという動きはあまりに低調なのではなかろうかと思う。

特に新型コロナウイルスに対応してくれている医療従事者に対する偏見と差別的な言動には都度都度できちんと抗議していくべきだと思う。

 

確かに、相互監視・自粛警察の機能が強い地方各地で新型コロナ禍が収束しているのは見事なことだと思う。

逆に、そういった機能が極めて弱い東京で新型コロナ禍が収束しないのは残念なことであるものの、大都会特有の洗練されたルールを守りながら、他人に干渉をせず、他人に干渉されずに個々が自由に生きる社会が逆説的に生み出した代償であるともいえる。

大都会で新型コロナウイルス感染者がなかなか減らなかったとしても大都会と閉塞的な地域とでは、俺にとっては前者のほうが断然生きやすく感じられる。

確かに東京砂漠は孤独だが、新型コロナに感染しても近所の誰も知られなければ、噂にもなりようがない社会である。

「日本の村社会、いや、日本人の嫌な部分が弱い東京に住んでて良かった~」とこの期に際して逆に強く感じる。

仮に今、「岩手に住んでいるのと東京に住んでいるのとどちらが良いか?」と聞かれれば、迷うことなく「東京に住んでいるほうが断然良い」と答える。

仮に閉鎖的で過干渉な地域があったとして、そこに住んでいる人が新型コロナにかかりたくない理由というのは、新型コロナウイルス肺炎や後遺症そのものの恐ろしさそのものよりも、その地域特有の排他要因への恐れのほうが大きいのではないかとすら想像する。

もし、そういった穢れ的な発想に囚われるとしたらそれは不幸の素である。

 

俺は新型コロナウイルスによる肺炎や後遺症で苦しむことへの恐れはあるが、仮に自分が新型コロナウイルスに感染したとして、ホテルか病院に収容されて治癒するまで過ごしたとしても、そのことは誰にも知られないだろうし、俺のことを直接知っている人とは全く接触していないから、知人にあれこれ詮索されることもないと思うので、その他要因への恐れはほとんどない。

もちろん、そうなった時に妻だけは濃厚接触者となるだろうが、テレワーク中の妻には妻が勤務する会社や行政が定めるルールに従って事務的に粛々と対応するようお願いするだけであり、そのせいで迷惑をかけてしまう人はいるだろうが、誰からも罵倒されるいわれはないと思う。

こういった流儀が大都会の自由さというべきものであろうかと思う。

なお、「子供を学校に行かせていればたとえ大都会でもあんたのように気楽なことは言えんよ…」と思われる方がいるであろうことは容易に想像できるが、それはその通りだろうと思うし、結果として我が家は子供を授からない人生となってしまったが、「子供の学校や教育や友人関係について考えることほどストレスになることもなかろうな…」とはずっと昔から思ってきたし、俺の人生にはそういった心配をする必要はなさそうなので気楽に生きているところでもある。

 

【2020年7月11日追記】

今回の内容がツッコミどころ満載の内容であることは自覚しています。

とはいえ、「記述の一つ一つに弁解する内容を入れながら書くのもなあ~」と思っていちいち書かなかったのですが、都会人であれ、都会ではない場所にお住いの方であれ、新型コロナウイルスに感染しないよう最大限の努力をするべきだと思っています。

都会人だからといって、行くべきでないと注意喚起されているような場所に出かけたり、3密が発生している場所に身を置いたり、感染してクラスター対策班に協力しなかったり、虚偽の説明をしたりするのは論外です。

とはいえ、地域によっては、自覚が弱かった人の事例に関して必要以上にプライバシー権を侵すような晒されかたをしているのを多々見受ける気がするので今回、このような文章を書いたというのもあります。

逆に「地方に対する偏見に満ちている」と思われる方がいた場合、俺には言い返す言葉はありません。

また、世の中にはどうしても出勤が必要な仕事をされていたり、例えばマッサージ師のように人と直に接さないといけないような仕事をされていたりする方が数多くいるわけで、そういう仕事には多少の感染リスクがあるでしょうが、だからといってそれを十把一絡げに責められようかとも思います。

なお、俺は新型コロナ禍以降、オンライン以外では、会食はおろか、妻以外の知人とはまだ一人とすら会っていませんし、居場所についてもGoogleマップのタイムラインデータをそのまま提供できるぐらいに自分の行動に自覚を持って行動をしています。

なお、俺はそもそもが地方出身者で強い愛郷心を持っているし、基本的に田舎暮らしに強い憧れを持っていてそれについて書いたこともあるし、満員電車に乗ることについて心底理解できないというようなことを書いていたりもします。

 

【2020年8月4日追記】

今年の東京タワーのライトの色は昨日までオレンジだったのですが、本日ホワイトに変わりました。

公式サイトには「毎年7月7日七夕の夜から、夏型ライトアップに変更します。」と書いてあるのに何故にこの時期になったのかについてはわかりません。

 

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f:id:gooddays-shumai:20200710203415j:plain新しくオープンしたUNIQLO TOKYOでマスクGET

 

f:id:gooddays-shumai:20200710203425j:plainとはいえ、真の目的地は地下にあるMeetFresh鮮芋仙。頻繁に食べてます