GOODDAYS

東京の真ん中で仙人のように生きる俺のつぶやき

今は珍しい経験をしているのだから頭に焼きつけておかねば…

いつも文章が短くないのだが、今回は長めです。

39県で緊急事態宣言が解除され、やっと出口が見えてきたかに見える新型コロナ禍は、感染した人にとっては悪夢だし、経済的にすさまじいダメージを負ってしまった人や生活が困窮した人にとっても悪夢としか言えないし、その他の人にとっても少なくない負の影響を及ぼしている。

また、補償無き自粛要請や自粛警察の出現によってこれまでになく殺伐とした社会になってしまったことも相当に残念である。

しかし、感染せず、かつ、経済的ダメージもなかった人にとっては、後になって良かったと思える面もなくはないのかなと思う。

 

セミリタイア状態にあり、かつ、あまり買い物をしない俺にとっては、外食・お出かけ・旅行に行けないこと(および投資業で多額の含み損を抱えたこと)と、うちのご主人がテレワークをするようになったこと以外に新型コロナ禍による影響はないのだが、多くの人にとってはいろんな影響があったと思うし、特に子供が住んでいる家庭にとってはかなりの影響があっただろうと想像する。

もちろん大変なことも多いのだろうが、以下のようなことは後になって振り返って懐かしく思える面といえるのではなかろうかと思う。

  • 普段の何気ない生活のありがたみがわかった。
  • 家族と長期間に渡って一日中一緒に居るという人間らしい期間を持った。
  • 家族全員で同じ食事を毎食取り続けるという人間らしい期間を持った。
  • 通勤をせずテレワークをする経験をした。
  • 子供にとっては、学校に通わずに勉強をしつつ行動の制約がありながらも、膨大な自由時間を持てたというのは得難い経験といえるだろう。
  • 原因はわからないが日本国内における感染拡大が欧米諸国のようには酷くならなかったこと、テレワークが浸透したこと、感染症予防の衛生意識がこの上なく向上したこと、一時的にとはいえ二酸化炭素の放出が激減したこと、大気や海がきれいになったことなどは数少ない正の側面といえる。

 

また、この期間は、「とてつもなく珍しい経験をしているのだから、今後の人生のためにも今のことをきちんと頭に焼きつけておかねば…」と強く思わされるような日々でもある。

後になっていろんなことがわかってきた後に、今の心境を思い出しながら振り返る作業をすることは未来のささやかな楽しみでもあるといえる。

なお、今年の4月の自殺者が例年より20%も減ったというが、今後も「結局、経済的自殺者を増やさずに済んだ」ということを後になって確認したいという願望で山々だし、そのことによる死亡者の推定数が新型コロナウイルス感染による死亡者数を超えるようなことは絶対にあってはならないとも思う。

 

もちろん、今現在もいろんなことを考えながら過ごさざるを得ない日々が続いている。

ほっといても100人に1人以上が何らかの死因で毎年亡くなっているのだが、最も死亡率が高いベルギーでも1,300人に1人程度しか亡くなっておらず、日本にいたっては18万人に1人ぐらいしか亡くなっていない感染症が世界中で同時期に発生すると、世界全体がここまで一変するという事実、死亡率にバラつきが出たとはいえ、どの国も似たような対応を取っているという事実に最も驚いているのだが、他にも色々と考えさせられることばかりである。

 

これは自分が新型コロナ禍中にふと思ったことや感じたことを自分のための書き残したものであり、数も多いのだが、以下に列挙する。

 

  • どの国においても医療体制は、個人の自由や経済活動全般や文化活動全般を劇的に犠牲にしてでも守ろうとされる。
  • 世界中で同時期に同じ災いが降り注いだため、各国で起きている現実や対応の様子を横並びで比較することができる。
  • 世界中で話題がこれだけしかないというぐらいにこのトピックが話題を占めた。
  • いざという時には世界がガチガチに鎖国状態になることがわかった。
  • 反グローバリズムに回帰するという人類の歴史の逆流が再び起きた。
  • なんだかんだ言って国という共同体の重要性を再認識させられた。
  • 自国から外国人観光客が完全にいなくなる光景が出現した。
  • 長期間に渡って街から人が消えて店が閉まる光景が出現した。
  • 「家に居て!」「人に近づかないで!」と大真面目に言われるという夢にも思わなかったような珍しい体験をしている。
  • 行政が、「家に居て!」「店内での飲食は避けて!」「休業した飲食店には協力金を払う」「飲食店は休業要請を行わない施設として認める」「飲酒提供は19時までとし、20時までは開けていいけどそれ以降は“自粛”して」などなど、並べてみると全く辻褄が合わないことを真顔で述べたことは忘れないようにしたいと思う。
  • 新型コロナ禍において経済的に困っていない層と行政が一緒になって、経済的に行き詰ってどうしてもやむを得ず“自粛”破りをしてしまった層を袋叩きにするという最悪の構図が見られた。
  • 働きたくても働くことが許されず、行政による支援はあるもののそれで事業支出を賄えずにのたうち回っている経営者、急にアルバイトを解雇されたが新しい働き口を見つけられずに困窮している人、ネットカフェ休業に伴って追い出された人に行政がホテルを借り上げる動きはあるが数が全く足りておらず住む場所がなくなったという人が出た。
  • 憲法や法律が他国よりも私権の制限することに対して慎重な立場を取っているために、感染を防ぐために国民に対して国家権力による強制ができず、国が自粛に頼るという図式が形成されたが、その結果として正直者ほどバカを見ることとなり、さらにその最悪の副産物として通報村八分や自粛警察による嫌がらせという私刑を復活させてしまい、日本中が戦前の「一億火の玉」状態に回帰してしまうという忌まわしい光景を見せつけられ、戦後75年経っても戦前のメンタリティーが残っていたのかということをこれでもかと感じさせられて身の毛もよだつ気持ちになった。
  • しかしながら、医療従事者への差別は許せないという声や、自粛警察に対して「私刑はおかしい」と考える人の声が日に日に強くなっていることに対してはとても救われる思いがした。
  • 外を歩く際、「近所を散歩しているだけですよ」ということをどことなくアピールするために、皆がスポーツウェアや可能な限りカジュアルな格好で外を歩くようになり、オシャレを放棄する現象が起きた。
  • エッセンシャルワークを担っている方々のおかげで家に居ながらにして以前とほとんど変わらない豊かな生活を送ることができている。
  • 医療従事者の尽力ぶりとその重要性をこれでもかと認識した。
  • ダイヤモンド・プリンセス号の乗客を隔離する施設すら有していなかったこと、いつまでも解消しない医療機関における医療物資の不足、保健所のキャパシティーPCR検査体制がなかなか拡充されないこと(もちろんむやみに検査数を増やすのには反対である)、民営の病院が多いために日本の膨大な病床に占める新型コロナ対応病床の割合がなかなか増えないこと、ICUおよびそれに対応する人員が不足していた点など、日本国の国家機構の脆弱さと実行力の無さは「中国のようになれ!」とは言わないもののいくらなんでも目に余ると思った。
  • 多忙を極めた保健所では係員に受話器を持たせて朝から深夜まで受付業務をさせたうえ、FAXで報告をさせて、それを別の人がPCに打ち込み、肝心な集計の内容も間違っていたということだが、ただでさえ疲弊している組織に非効率的かつ非確実な仕事をさせていたということがわかった。
  • さらに、特別定額給付金のオンライン申請された情報を役所において手作業で照合しているという話まで出てきた。
  • 国が罰則や強制力を持たないのも、国が個人を管理することを極端に嫌ってID管理をできなくして、その結果、困窮者をいち早く救えなかったのも戦後の左翼的運動の結果であり、最終的にこの責任は国民が負っていると思う。
  • 補償を行うための財政支出ができなかったのは政治家が財務省に屈した結果であるともいえるが、その結果として殺伐とした醜い社会になった。
  • 高齢者に偏って重篤な影響がある感染症であることがわかっても、高齢者および高齢者同居家庭にのみ自粛を促し、その他の人は感染に気をつけながら外に出て社会や経済を回すという案が政治家から出てこなかったことに個人的には驚いている。

 

などなど挙げまくったが、思い浮かぶことは他にもいくらでもあってキリがない…。

というわけで、俺のボンクラ頭では考えつきもしなかったような珍奇な経験をしている今という時の記憶を可能な限り忘れないよう、しかと頭に焼きつけておこうと思う。

 

f:id:gooddays-shumai:20200513234324j:plain中央区民が家の近場をソーシャル・ディスタンスをとって散歩しようとした場合、住宅地よりむしろ閑散とした銀座のほうがその目的にかなっているようにも思う

強烈なパワーワードを用いた見出しやタイトルについて

ネット上の記事は読まれてナンボなので、見出しに力を入れるのは当然なのだが、見出しにあまりに強烈なキーワードが用いられすぎていて記事のラインナップを見ると「下品だな~」と思うことがあまりにも多い。

 

例を列挙すると以下のようなものがある。

 

  • ~の末路
  • ~なワケ
  • ~の現実
  • ~の正体
  • ~の本末転倒
  • ~が露呈
  • ~の根本原因
  • ~の最終結
  • ~が無理筋な理由
  • ~の根本的な間違い
  • ~の深い事情
  • ヤバすぎる~ 

 

「そこまで強く言うなら知りたいわ~!」と思わせる見出しが百花繚乱である。

もちろん、それが「本当にその通り!」と納得できるような記事であれば言うことはないが、残念ながらとてもそうとは言えないような内容の記事がネット上に溢れかえっている。

特にビジネス誌サイトに連載している書き手が締め切り前にやっつけで書いたと思われる記事にそのような記事が数多く見られるように思う。

 

また、ページビューを稼げるような一文を文中のどこかから抜き出して無理やり題名をつけたせいなのか、かなりきちんと読み込まないと題名の箇所に辿りつけなかったり、そのことについて一行しか触れていない記事だったり、そもそも題名に対する答えとなる内容が書いてない記事も多い。

 

あと、このブログで過去に触れている通り、ポータルサイトlivedoorが小ふざけた見出しで釣るのは昔からだしお約束としか思っていないが、最近はビジネス誌サイトが主戦場になっているので「なんだかな~」と思うのである。

 

とはいえ、百歩譲ってこれがネット上の無料の記事であれば許せなくもない。

しかし、ここ数年は販売部数が減少の一途をたどっているためか、書籍の世界においても目立つこと第一のタイトルをつける事例が数多く見られる。

一例だけ挙げるが、武田徹氏著の「なぜアマゾンは1円で本を売れるのか」という本は中身は結構な手間をかけて書かれた力作だし、光ることも書いてあるのだが、このタイトルの内容についてはそれこそ1ページ程度しか触れておらず、ただ売らんがために誰かがこのようなタイトルをつけたとしか思えないわけで、内容の割にとても残念な読者評価となっている。

新潮新書はいい本も数多く出しているだけに新潮社の姿勢に超絶ガッカリしたのだが、こういうことが何回か続いて、このところは新書を買わなくなるどころか読むことさえなくなった。

 

あと気になるタイトルのつけ方にスタンフォード式」「ハーバード式」とつけるものがあるが、そもそもスタンフォード大学ハーバード大学で教鞭を取っているだとか取っていたというだけでこのようなタイトルをつけるのはあまりに不誠実だし、実際にこうしたタイトルをつけた本で良書に出会ったことがない。

なので、こういった本を出す出版社にも絶対にカネを落とさないようにしようと思うようになった。

 

なお、本ブログでも検索だとか閲覧数を意識するのであれば人目を惹くようなパワーワードをバンバン使用すれば良いのかもしれないが、本ブログは単なる俺のつぶやきを書いているわけであり、他人におもねらないということをとても大切にしているため、文章に題名にはあまり強烈なキーワードを用いないよう気をつけているつもりである。

 

gooddays.hatenablog.jp

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f:id:gooddays-shumai:20200506001556j:plain近所の晴海トリトンにて。この椅子に座るのはソーシャルディスタンスを取っていると言えます…よね?(笑)