GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

40歳、惑う

21日に40歳になりました。

 

人生の折り返しですが、実感なしです。

徹夜は昔からできないので、徹夜ができなくなったとかそういうのもないですし、傷の治りが若干遅くなったこと以外、体力的な衰えをどの部位に関しても何一つ感じていないからだと思うのですが、それもこれからは少しずつ感じるようになるのでしょう。

 

このブログを始めて12年経っていますが、1ヵ月たりとも空けたことがないのは自分らしいなと思います。

書きまくって一気に書かなくなる集中・爆発型の人もいれば、俺のような持続型もいるのですが、「ほぼ日」ならぬ「ほぼ月」でやっているのが持続している要因だと思います。

こうやって書くことで11月もクリアということになるわけです。

 

でも、朝から夜までルーティンでやることが多すぎ、しかも根性なしな割に下手に持続力があるので生活全般がだんだんと硬直しているのを感じながらも保守的な性格ゆえに生活をあまり変えないままです。

ジョギングやココナッツオイルコーヒー&青汁朝食や掃除のようにモチベーションの高低に関わらず、こなしてさえいればいいものであれば問題ないのですが、自宅トレーニングやギターの練習や瞑想のように気乗りしないまま無理やり行うとおそらくは意欲的にやった時より著しくパフォーマンスが低下するルーティンをどうやって楽しくやるかが常に課題です。

正直、仕事よりもルーティンのほうが何倍も辛いかもしれません。

あまり面倒に思うと続かないので、家計簿と日記以外は「サボりあり」というポリシーでやっています。

ルーティンと比べれば仕事のほうがずっと楽な状況をラッキーと思うしかありませぬな。

 

つまり、俺は、習慣が硬直して楽しめていないものがあることを感じながらも、保守的な性格ゆえにそれを続けようとは思い、それを何とか楽しめないか年中考えている状況で人生を折り返す中途半端な人間なわけです。

 

なので、俺に関しては「不惑」という言葉とは無縁です。

 

それにしても、世の中にはいろんな境遇の人がいたり、同じ年ぐらいの人は子育てが大変だったり、自分や身内の健康に不安を抱えて大変な思いをしている人がいるなかで、俺が書いていることのなんて能天気なことなんだろう。

 

ちなみに、子供がいない人生を送るのはかなり想定外だったのですが、俺もパートナーも検査等をしても何の問題もなかったし、年齢制限というものもあるので、その間はできる限りのベストは尽くしたのだけど、まあそれも運命ですし、今は「やった~、俺、やりたいように生きられる~」とかなりポジティブに思ってしまっていたりもします。

 

こうなると今後の人生で最も強く願っていることはパートナーが自分より1日でも長く生きてくれること、そのことに尽きるわけです。

 

恐山