GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

長谷川穂積選手11回目の防衛戦で初めて生観戦したが…

先日、「スポーツに費用対効果を求める人は自分が選手になるべき」と述べた。

俺は絶対に長谷川選手のようなすごいボクサーにはなれない。

ならば、あまり熱くなるべきではない。

 

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でも、やり場がない、あまりに気持ちのやり場がない。

20,000円と俺のゴールデンウィークを返せ!と言いたいところだが、勝負に負けはつきもの。

やり場のない思いで何時間経っても何もする気が起きない。

自棄酒の酔いが醒めてくればなおのこと。

ゴールデンウィークなんてどうでもいい、もう何もやる気が起きない。

 

初めて観た長谷川選手の生の試合が何故に敗戦なのだ~。

これで日本ボクシングも終わった。

 

長谷川選手は伝説のチャンピオンとして夢を見させてくれていたが、再起戦で勝ってももう普通の王者だ。

アメリカ進出だとか、パッキャオのようになるという路線は完全に閉ざされただろう。

残念ながら長い夢は日本ボクシングとともに終わったのだ。

 

とはいえ、試合内容は極上だった。

無駄打ちが全くなく、ジャブすら打てず、手の甲を上に上げる最も隙のない動作やフェイントしかお互いができない展開は、このクラスでない者がやるとブーイングものだが、この二人がやると極上の駆け引きとなっていた。

それは、打つパンチが全て一撃で仕留められる刃物のようなパンチだからそうなのだが、結果、先に当てたモンティエルが勝ったということなのだろう。

最上級の両者の試合というのはとかくお互いのカウンターを恐れて無駄打ちが少なくなるものだが、長谷川選手はKO勝利続きだったので意識せずとも無意識的な部分でKOを狙いにいってしまっていたのだろうが、それが拍子木の影響もあるけど、ああいう形で隙を作る結果にもなったのだろうと思う。

防御的な粟生選手や亀田興毅選手のボクシングにはもう少しそういう要素が欲しいぐらいだが、やはりKOを狙うぐらいの気持ちでいると逆もあり得るということだ。

 

また、とっとと倒れてしまえばレフェリーストップでなくダウンカウントになったからベターだっただろうし、ストップ時にあと1秒だったことが悔やまれるが、まあ、あれだけもらえばしょうがないといえばしょうがない…けどやっぱり納得でき~ん。

それにしても、ボクシングの天才はセオリーを超えた次元に達するが、この試合はそれをしびれるほどに感じた。

でも、悔しい。

悔しい。

 

スポーツに感情移入してしまうと、勝負の負けに遭ったときの悲しみが勝ちの喜びよりも上になることが多いから、感情移入しないように気をつけているし、一人の選手や一つのチームにだけ肩入れしないようにしているのだが、今回はそのつもりでいてもここまで感情移入してしまっていたということだ。

 

そして今日で歌舞伎座もおしまい。

職場のすぐ近くにあって、最低でも週に1度は必ず目にする桃山様式の秀麗な歌舞伎座が姿を消すのも残念。

今日は特にたくさん人がいたなあ…。