GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

仕事とモノに縛られない俺個人のシンプルライフ

俺は、「週末=休息」「旅先=くつろぎ・癒やし」というような考え方についてネガティブなイメージを持っている。

 

休息やくつろぎは平日の生活の中に作るべきで、土日こそアグレッシブに生きるほうがポジティブだと思うのだ。

長期休暇やバカンスを「戦士の休息」と言わんばかりに身体を休める・リフレッシュする・リラックスするというのは何かおかしいしもったいないと思っている。

そんなことをしないとリフレッシュできない人生はどこか本末転倒だと思うのだ。

 

俺は自分なりに色々と工夫して、日々の生活においてリフレッシュするようにしている。

そのために家賃は高くても会社から10分以内の場所に住んでいるし、早ければ17時すぎ、遅くても20時すぎには家に帰って自由時間をゆっくりと過ごして、1時頃に寝てゆっくり8時頃に起きる生活をしている。

17時に帰って1時に寝れば平日でもそれなりに使えるものである。

また、精神衛生に悪い満員電車には乗らないようにしているし、行列には一切並ばないし、人が多い場所や渋滞は避けるし、時間泥棒のテレビもできるだけ見ない。

そうやって最大限にリフレッシュする努力をしているから、週末や休暇を「攻め」の時間とすることができているのだと思う。

ことに、夜間や休日になると人が少なくなる都心に住んでいることがこんなに精神衛生上良かったのかということについては、実際に住んでみて気がついた。

 

俺はモノをたくさん持つことは、人生を複雑にすると頑なに思っているので、モノも最低限しか持たないし、コレクションの類も全く無い。

モノについては、「一つ買ったら一つ捨てる。それぐらいの覚悟がなければ買わない」と決めてあるから、無駄なものは一切買わなくて済むし、モノに払う家賃も最小で済むし、いつ泥棒に入られても平気である。

そして、モノを買うときに安物買いの銭失いにだけはならないよう、多少は高かったとしても本当に気に入ったものだけを買うようにもしている。

そんな感じだから街に出かけても旅行に出てもほとんど何も買わずに帰る。

買うのは食べ物のように消費するものばかりである。

そして、年に何度も捨てるモノを吟味する機会を作って、捨てまくるようにして、モノを捨てたら「勝利!」と思うようにしている。

以前は本だけは捨てられなかったが、今は「いつでも図書館で借りたり、本屋で立ち読みしたり、本屋や古本屋で買ったりできる」と腹をくくって一気に処分したから、今は100冊も置いていない。

本に家賃を払わない生活は思いのほか快適である。

 

それにしても、ここまで述べたことが、物価の安い郊外住まいの早朝出勤のB級コレクター生活を推奨するモリタク氏の提唱していることと全く逆のことであることに笑ってしまう。

 

話は戻るが、仕事についてもやりがい云々より、労働時間や給与やストレスのなさを重視して現在の仕事を選んだ。

仕事が終わって仕事のことを少しでも考える人生を送りたくないから、仕事が終わったら仕事のことは一切考えずに済む仕事を選んでやっている。

とはいえ、出世したらそうもいかなくなるだろうから、いかに適度に出世しないかも重要だと思っている。

また、仕事が嫌いだったら人生はつまらないものになるだろうが、実は今のところは仕事はまあまあ楽しい。

 

でも、俺は「仕事を生きがいに…」という言葉ほど無責任な言葉はないと思っている。

まず、仕事は客のためにやるものであって、自己実現のためにやるものではないからだ。

京セラの稲盛会長のようにまでなれればそう吹聴しても良いけど、一般人はそうしてもそれほど幸せになれないと思う。

新卒の学生はそれを履き違えて就職活動をするから実際に働いてから理想と現実の乖離に苦しむのだ。

あと、「人に喜んでもらうのがうれしくて仕事をしている」とのたまうのもどうかと個人的には思っている。

そう言うのは自由だが、本当に人に喜んでもらうことを自己実現手段とするのならそれこそ慈善活動にでも熱中すれば良いと思うのだ。

慈善活動は、「自分の仕事を通じて喜んでもらい、対価をいただく」という取引の概念ではなく、「対価を期待せずただただ人を喜ばす」という取引のない概念なのだからより純粋にその目標を満たすことができるはずだ。

そういうわけで、俺はそこそこ楽しくノンストレスで仕事をさせてもらっているけど、仕事に人生の多くを傾けたくない。

 

これは余談だが、長らく格闘技をやってきたことも俺のシンプルライフを形成させるうえで役に立っている。

殺しの訓練を積んだ軍人などは除いて、素手でなら六本木の巨漢外人にも負けないと思っているが、だからこそ誰ともケンカをせずに済む。

格闘技をある程度習得してからというもの、体格や姿勢や表情に自信が伴うようになったためか、誰からもケンカを売られたことがないし、精神的ないじめを受けたり、屈辱的な扱いを受けたこともない。

もちろん、大人になったからであるとか、人と適切なコミュニケーションを取れるようになったからというのがそういった扱いを受けずに済む最大の理由ではあると思うが、これは格闘技をあるレベル以上に習得した者にはわかる大きな効用だと思うのだ。

 

以上、不快な印象を持った人がいるかもしれないが、これが俺個人が実行している俺なりのシンプルライフである。