世相なのか、昔からそうだったのか、それともマスコミがそうたきつけているのかわからないが、悪事があるたびに国民がまるで自分がされたことのように怒ったり、当事者が国民に対して謝罪することを当然とされるような風潮を見ると不愉快な気分になる。
世の中の悪事や不祥事には度合いがある。
最悪は姉歯事件で、あんなのは死刑にしても物足りないだろう。
今回の偽装米やミートホープも論外である。
でも、賞味期限の張り替えや産地偽装レベル問題に対して国民全体が当事者となって激怒するほどのことかとは思う。
ずっと前に、田中康夫氏が、残飯事件が発覚する前の船場吉兆や赤福に対する加熱報道にも「みんなスピード違反をやっているのに、最初の1台目が捕まるネズミ捕りみたいなもの」と言ってのけ、「クリスマスケーキも12月上旬から作るケースは当然ある」と氏の発言とは思えないような発言をしていた。
健康被害が出たのならばともかく、冷凍などでごまかさずにいたらクリスマスケーキを普通の値段で売ることなんてまず無理だろうから、被害を受けた当事者は激怒して当然にしても、世間は少しぐらい手加減してやってもいいのではないかと思うのである。
もちろんウソによる被害より、ウソをついたこと自体が社会に対する悪といえば悪なわけで罰せられるべきなのだが、どんな仕事にもグレーゾーンはあるものだと思う。
つい先日、前出の田中氏が汚染米事件の冬木社長に対する告発状を大阪府警に提出したらしいが、田中氏もこの件はレベルとして許される問題ではないと思ったのであろう。
太田誠一前農水大臣がこの件では「じたばた騒いでいない」と発言したが、基準値の2倍の農薬といえば、普通の米を2杯食えば消化してしまう量なのだろうから、まあその通りなのかもしれないが、この件については動機があまりに卑劣なこともあって、この件は許されるレベルを逸脱していると私も思う。
まあ、中国から輸入したもち米の7割が汚染米だったということといくら取り決めだからとはいえ、その大量の米を輸出国につき返さなかったことに個人的には一番驚いたのだが、日本の規制が国際的に厳しすぎるのか、中国の米が酷すぎるのかについては明らかな情報が欲しいと思う。
いずれにせよ、悪を追求するうえでは、程度・レベルというものを考えて、その程度・レベルに応じた追求をしたいものである。
一方に傾きすぎるのは危険であると思う。
話は変わる。
土日に7冊ほどの本を読んだのだが、その中に武田邦彦氏著で幻冬舎から出ている「偽善エコロジー」という本がある。
この本はエコロジーについて考えるうえで色々と考えさせられた。
エコへの活動については素人には判断しにくい難しい部分があるのであまり軽はずみな発言はしないようにしてきたが、これでさらに軽はずみなことがいえなくなるわけである。
でも、環境省がやる打ち水やキャンドルナイトには賛同できない。