仕事が生きがい…大いによろしいと思う。
でも、どんなに仕事が生きがいでもプライベートの時間を仕事ごときに侵食されたくない。
仕事が最大の趣味であっても、その最大の趣味とやらが人生におけるそんなに多くを占めていいわけではあるまい。
ゆっくり寝たいし、美味しいものをゆっくり食べたいし、好きな人や家族と一緒に過ごす時間は絶対に必要だし、本も読みたいし、ちょっとした趣味も楽しみたいし、自然に身をゆだねたいし、たまには友人と翌日を気にせずにバカ騒ぎしたい。
どんなに仕事が好きでもこれらの時間を削られるのは勘弁だし、本末転倒だ。
人はそれぞれの価値観に沿って生きていけばいいと思うが、俺はそういう本末転倒な人生だけは送りたくない。
妥協を許さないスペシャリストという存在には感心するし、それが世のためになっていれば賞賛もするが、俺はそういう人種のことを実はどこかで憐れんでいる。
前回、「CAN'T BUY ME LOVE」と言ったが、どんなにお金があっても幸せの上限なんて限られている。
俺はよく焼肉や寿司で例えるのだが、「上」と「特上」の違いっていうのは値段の違いはすごくても味はそんなに変わらない。
1泊210万円のスイートに泊まろうが、その20分の1のスイートに泊まろうが満足度はさして変わらんだろう。
むしろ、たまに「上」を食べられる「中」で満足して、その分、自分の時間を自分なりの楽しみかたで満喫できるならばそれが最高だ。
かといって、お金がないのに時間だけが過剰にあってもしょうがないわけで、その適切なバランスをとることが大切だ。
人は個々が理想とする絶妙のバランスを追及しながら楽しむなかで個々がオンリーワンの存在になれる。
俺はそんなにもらっているわけではないが、通常労働の1.25倍の残業代をもらってでもあまり残業はしたくない。
残業代をもらえなければ余計にそうだ。
社会人だから必要があればもちろんするが、残業代はいらないから早く帰りたいと思えるという状況はとてもバランスが良い状況だとは思う。
仕事なんかにプライベートの大切な時間を削られることが悔しくてしょうがないから長時間働きたくないし、働かなければならないような会社では勤めていない。
通勤時間すら悔しくて仕方ないから、そのせいで家賃がかさもうと家が狭くなろうと車を持てなかろうと俺は会社の近くに住む。
マクドナルドの店長の残業代をめぐって判決が出たが、マクドナルドだけに限らず、プライベートの時間を削ってまで働かなければならない人生って何だろう。
そんな人生を送ることを社員に強いる企業の存在価値って一体何なんだろう…。
でも、世の中そんな企業が多すぎる気がする。
俺なんて、職を選ぶ際に一番優先するのがこの種の“ヤバい業界・会社”でないことだから、長時間労働で肉体労働で給料の安い飲食産業なんてその業界が好きであったとしても真っ先に避ける。
昔は資本主義だとか市場主義を信奉していたけど、年を重ねるにつれそう思わなくなってきた。
そういう労働を労働者に強いてまでリッツ・カールトンのスイートに泊まりたいと思うような人間なんて、彼らの給料を削ってまでより多くのキャピタルゲインを得ようとする人間なんてやっぱりどう考えても大嫌いだ~。
こんな長時間労働の犠牲になるのならば、家なんか狭くて構わないし、子供にバカ高い教育費を支払わなければならないとも思わないし、昇進や世間体を気にしなければいけないとも思わない。
とにかく、人に人らしい暮らしをさせられないような時間の奪い方をする力が憎い。
今日は思いっきり感情論でした。