GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

使われない言葉は淘汰されていくべき

同時多発テロから6年が経つ。

オイラにとってはただの6年間だが、子供にとっての6年間はとてつもなく大きい。

その間にわかったことといえば、徹底的にテロをやれば、反戦派やイラク国民は逆にアメリカを逆恨みするようになるということと、穏やかな日本人と対極にある砂漠の一神教の民族の頑固さは手がつけられないから手をつけるなということである。

アメリカ国民やブッシュ氏はこの後者への理解が甘かったわけですな…。

 

さて、ここから本題。

最近、文化庁から、「上を下への大騒ぎ」や「熱にうかされる」の誤用や、「流れにさおさす」「ぞっとしない」「やおら」の意味がわからない人が過半を超すというような調査結果の発表があった。

私は正しい言葉の使い方には比較的うるさいほうで、以前ならば意味を間違って覚えていると反省していたものだが、最近はこういった調査をする人間やこんな誤用されかねない言葉そのものに腹が立つようになった。

大体、調査するほうだって、「これは間違えるでしょ…」と思う言葉を選んで調査するわけだから逆に正答率が高かったらおもしろくないところなのであろう。

悪趣味な調査である。

 

私だって、「役不足」や「確信犯」なんて言葉は本当の意味で用いようものなら全く逆にとられかねないから危険すぎて日常生活では使わないようにしている。

また、友人と会話している途中に「気が置けねえなあ…」だとか「けれん味がねえなあ…」という言い回しを使った場合でさえ、なんとなく相手に意図が伝わっていないふうであったからこうった言葉も使わなくなった。

難しめの言葉というのは、正しく相手に伝わりにくいのだからもはや使わないほうがマシなのである。

とっとと淘汰くんだよ!そんな言葉。

 

同様に以下のような調査結果も発表されたが、これなんか茶番もいいところだ。

 

社会生活で使う漢字の目安である「常用漢字表」に入っている「遵(じゅん)」「勺(しゃく)」などよりも、そうではない「誰」「岡」などの方が、多く使われると考えられていることが7日、文化庁の「国語に関する世論調査」で分かった。

常用漢字に関する初の意識調査で、漢字表と実態が食い違う結果となった。1981年の制定以来、1945字のまま変わっていない常用漢字については、文化審議会が見直し作業を進めており、調査結果も反映させる見通し。

16歳以上の男女を対象に、常用漢字表の「遵」「勺」「逓(てい)」「弐(に)」「厘(りん)」「謄(とう)」の6字と表外字である「誰」「奈」「頃(ころ)」「阪」「痕」「岡」の6字について尋ねた


その結果、「使われていると思う」と答えた人の割合は「遵、勺、逓」で3割台、「弐、厘、謄」が6割台だったのに対し、表外字では「痕」(6割強)を除くすべてで9割を超えた。

また、常用漢字表自体を知っている割合は約半数で、知らない人(4割)を上回った。

ただ、知っている人のうち、文字を書く際に常用漢字を意識すると答えた人は4割、気にしない人が6割だった。

 

これで、「いや~誰や岡よりも遵や勺のほうが使いますね~」っていうヤツがいたらただのうそつきである。

関係ないけど、私は漢字を用いる際に、どちらかといえばひらがなで表記すべきだと思う言葉はひらがなを用いることにしている。

 

またちょっと話は変わるが、私は、慣用句はおろか敬語、特に謙譲語が苦手だ。

サラリーマンでない期間が長かったし、今の私の仕事ではお客さんと会話をすることが全くといってよいほどなく、会社の上司や先輩としゃべる時に崩れたような敬語を使う程度しかで敬語を使わないからであろう。

謙譲語なんてものは要は慣れが大事で、使わないととっさに出なくなるものだ。

 

また話がずれるけど、オイラが生理的に大嫌いな言葉に「いたしかねます」という言葉があるのだが、あれなんてのは一度覚えれば簡単に使えるからか敬語商売の人がバンバン使うが、オイラはその語感が嫌いで言われる度にその慇懃な響きに腹が立つ。

 

慣用句も敬語も若い者が云々という意見もあるのだろうが、ウチの親父なんか学歴は高学歴なのに、「どうもありがとう」と言えば済む程度の顧客しかいない自営業の社長であるせいか、子供の学校の先生と母親の両親ぐらいにしかまともな敬語を使っている様子を見たことがない。

そして、私が物事ついた頃から、どこに行こうと常に一人称は「ワシ」である

しかも、子供は大人になり、母の両親は数年前に相次いで亡くなったからもはや誰にも敬語なんて使っていない。

まあ、どちらかといえばふてぶてしい感じではなくフレンドリーな感じだから周囲にいて我慢はできるのだけど…。

 

ウチの親父を取り上げてもしょうがないのだが、ふてぶてしい中高年は若者とは比較にならないぐらい多い。

使えない中高年が使えない若者以上に多いのと同じといっていいかもしれない…。

なので、慣用句や敬語の問題は年層の問題ではなく、日本語の変化の中で淘汰されている言葉の問題にすぎないように思う。

私は使われない言葉は淘汰されていくべきだと思う。

 

ボートにハワイと書いてるけど河口湖