まだフラフラするけど、隣の練馬駅から家まで20分ひたすら千川通りという通りを歩くのだが、ずっと桜が咲いているので桜を見て帰った。
今日が一番きれいだったら風邪をひいても無理をしてでも歩いたのだ。
でも、実際にすごく美しかったから歩いて良かった…。
私はいついかなる時にも粋や風流をことさら重んじるところがあって、たまに無理することがあるけど、それは仕方がないのだ。
仕事では無理しなくても風流のためには多少の無理はするのだ。
今日の昼だってフラフラしながら築地から勝鬨橋まで散歩して隅田川を眺めていたし…。
そういう性癖があるから起業せずにサラリーマンに戻ったといっても過言ではない。
風流には心の安寧が必要だから勤め人でいるほうがいいのだ。
ところで、誰だって、風流に感じる時や悲しい時には、映画やドラマの登場人物みたいに演出された自分になりたいんじゃないかと思う。
でも、実際は映画のようにみんなが見てくれているわけでもなく、独りで勝手にもだえ苦しむだけだったり、風流な瞬間も何の余韻がなく終わることが多い。
現実にはリプレイもスローモーションも特殊効果もないのだから仕方ない。
でも、音楽を聴きながら風流を味わうことというのは自分が少しだけ何かの登場人物になる方法として手っ取り方法であるように思う。
だから、きれいな景色を見るときには大抵音楽を聴きながらにする。
そうすると、「Yesterday Once More」の歌詞の世界じゃないけど残像が脳裏に残る。
だから、悲しい時には残したくないから音楽は聴きたくない。
隣のドカチンは15皿ぐらい食ってたが、桜があまりにきれいだったので、っていうか風邪のせいで回転寿司を4皿しか食えなかったぐらいに気分がすぐれないけど、さらに無茶して今から写真を撮りに行ってきます。