GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

脱サラ後の生活の回顧

株を辞め、数日前に株式口座から資金を全額引き上げた。

 

一応、日経新聞に目を通し、夕方にイートレード証券から配信されるメールマガジンやネット上のニュースなどの流し読みはするのだが、日中、相場のことが全く気にならない。

 

これまで、どこまでも惰性で生きてきただけに、これからの人生へに対する不安は強い。

惰性で過ごしてきたツケをこれから払わなくてはならないことを思うだけで胃が痛くなる。

 

ちょっと自分の数年間を回顧させていただく。

 

大学を卒業して4年半の間、会社員として勤めたのだが、その会社で勤め続けることへの危機感があったことと、リスクを取ることができる時期にリスクを取ってみたくなったことが理由で会社を辞めた。

その後、独立を目指した業種が、トライすれどもすれども法律を遵守してやっていける業種ではないことを痛切に知り、“ソクラテスト”SHUMAIはその業種での起業を断念した。

そして、「何らかの業種で起業をしてみたい」と思いつつ、株式投資も始めたのだが、やればやるほど怖すぎる世界であることを痛感し、「これで一生食べていける人がいたらすごすぎる」「俺には絶対無理だ」と思った。

 

なお、仕事による充実感や、仕事を人に喜んでもらえるうれしさが得られない後ろめたさを、「リスクマネーを投資する者がいなければ資本主義は成り立たない」というロジックでごまかし続けてきたのだが、そのロジックを正当化し続けることに対して自分の中に無理が生じてきた部分もある。

もちろん、その人の投資手法および価値観次第では投資によって仕事の充実感を得ることは可能であると思うので、私は投資で生きる人々を全く否定しない。

 

起業のほうも、「いけそうだ!」と思い浮かんだ案はいくつもあったし、勉強のために高校生に混ざってアルバイトをしてみたり、本で勉強したり、視察の日々を過ごしたりしてみたこともあったが、そもそも俺には『努力』という最も大切な才能が昔から欠如していた」「俺は人生のすべてを仕事にささげることができない性格だ」「俺は趣味や将来いつかは持つことになるであろう家族との時間も大切にしたい」「何より根気と体力が人並み以上にあるという自信が無い」と悟ったある日、戦わずして「俺に起業は向いてない、向いてなかったんだ」と断念した。

これは結構最近のことである…。

 

私は受験勉強からも、会社員生活からも、起業からも、投資からも逃げて生きてきた。

子供の頃に知能指数が高いと知らされ、素頭の良さはあったので、小中学校の頃は成績が良かったが、努力する才能がなかったため、高校で落ちこぼれた。

会社員の頃も、持ち前の要領の良さで、部署で一番の成績を収めたこともあったが、他の同僚ほどに自分を追い詰め、精進することができたかといえば、「明白に否」であった。

投資の世界はこれまで体験したあらゆる世界で最も自分に向いていない世界であった。

キックボクシングの世界においても、最後になんとか実績を残すことができたが、「同じ部の中で、自分を追い込むことが一番できなかったのは自分だ…」という思いはいまだに残っていて、燃え尽きるほどに一生懸命にやれたかといえば「明白に否」なのである。

 

一言でいえば「甘ったれ」という言葉で形容できる自分に対して強い自己嫌悪に陥りながらも、「器用貧乏」という武器でこれまで生き長らえてきてしまった…。

しかし、危機は間違いなく身近に迫っている。

「ここまで社会人としてのキャリア作りを怠ってきた分、これからそのツケを少しずつ払わなくてはならなくなるのだろう」と思うと武者震いする。

 

昨日は前の会社ですごく良くしてくれ、かつ、仲の良かった先輩が会社をお辞めになるということで、その送別会に仕事後、少しだけ顔を出した。

今日からもう次のお仕事なのだそうだが、もちろん、先輩も悩み、一生懸命に求職活動をしたのだろうが、こうやって真面目に働いてきた先輩にはもう、次の仕事がある。

 

私にも縁あって今やらせていただいているすばらしい仕事があるから、無責任なことは書きたくないが、今日、3年ぶりにハローワークという場所に立ち寄ってみた。

自分のように一度社会から脱線した半ニートを受け入れてくれる会社が世の中にはどの程度あるのか知りたかったのだ。

池袋のサンシャイン60の26階にあるハローワークで小一時間ほど職業検索を続けた。

もちろん、池袋に立ち寄ったということで、当然のごとく、好物のうちたて家のうどんを食べて帰途についた。