テレビで見たこともないが、山本モナというアナウンサーが降板したそうだ。
この件で、「アナウンサーのほうが降板したのに細野氏が辞職しないのはおかしい」というブーイングが出ているそうだが、これは筋が違うように思う。
細野氏をどうするかということは有権者が判断すれば良いだけの話であるし、細野氏はもう十二分にダメージを負ったであろう。
確かに、浮気や不倫という行為はもっての外な行為ではあるが、私は、そもそも、「それと政治家としての職務遂行能力と好色が過ぎることに何の関連があるのだ?」と常々思っているので、この種のニュースを聞くたびにいつも不思議な気分になる。
だいたい、古今東西「英雄色を好む」ものであるし、そんなスキャンダルごときにいちいち口をはさむ暇があったら別の不正を追求しなさい」と言いたくなるのである。
まあ、若手のホープだった細野議員はほとぼりが冷めるまで、しばらくは細々とやっていなかければいかないのであろう…。
ほとぼりといえば、日銀の福井総裁も村上ファンドへの資金拠出の件で昔に辞職せずに済んだけど、福井氏が慈善団体にたびたび寄付をしていることが、昨日の日経新聞の新聞紙面においてかなり小さく報じられていた。
1,000万円の元本が2,473万円になり、そのうち、約1,700万円をこれまでに寄付しているというから、既に元本を割るぐらいに寄付に回しているということになるのであるが、こういったニュースの扱いは小さかったりするのが報道というものである。
もう一つ、ほとぼりといえば、今、昨年に自民党を離党した議員を復党させるかが問題になっているようである。
郵政民営化問題離党組の復帰が問題になっているけど、これで簡単に復党させるようなことがあれば国民の自民党への見方は変わるであろう。
こればかりは小泉氏や武部氏や新人議員の主張のほうが筋が通っているであろう。
仮に復党させる場合、相当な意見の担保を得ないと国民の支持は得られないと思うし、少なくとも復党には小泉チルドレンの許可は必要であろう。
首相がらみついでに、全く違う話を書く。
今日の首相官邸メールマガジンにおいて以下のような一説があった。
さて、明日10月27日は、私の郷里が生んだ偉人、尊敬する吉田松陰先生の命日です。
29歳で刑死した吉田松陰のことを一国の宰相に上り詰めた安倍首相が「先生」と呼ぶのもわかるぐらいに吉田松陰が濃い人生を送られたことは、松下村塾が高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋といった大人物を傑出したことからも明らかであるし、その思想や情熱が明治維新の原動力になったのは言うまでもない。
ところで、10月27日と書かれてあるこの命日は、西暦では1859年11月21日にあたるのだが、くしくもこの日は私の誕生日である。
安政の大獄で吉田松陰が処刑された日が私の誕生日というのは不吉であるが、現在、私は29歳であり、たびたび「吉田松陰は俺と同じ年齢に亡くなったのになんて濃い人生を送っているのだ」と思い返すことがこのところ多かったので思わず取り上げた。
吉田松陰は1830年9月20日に生まれているので、29歳2ヵ月で亡くなっておられるのだが、「同じ期間を生きてきて何と無為な人生を送っているものよ…」と30歳を目前にしてまたまた溜息が出るのである。