私が日本の次に好きな国はタイである。
単にメロディーが頭から抜けないからにすぎないが、なんとなしに口笛を吹く曲第1位はなんとタイ国歌であるぐらいである
そんな国でクーデターが起きたとあっては一大事である。
そもそもタイにおいて軍によるクーデターなんて過去に何度も起きているらしいが、エリツィン氏のクーデターぐらいしか記憶にないような日本の若者であれば、「クーデターなんてありなのかよ?」と思うところだろう…。
いくらバンコク市民の支持は多かったとはいえ、混乱や衝突がなかったとはいえ、「民主主義国家がそれをやっちゃおしめえだろ!」と思ってしまうのだが、ニュースを見るとそうとも受け止められていないような感じがしていて、よくわからない状況である。
バンコクではすこぶる評判の悪いタクシン首相は、国民の6割を占める農村部からの圧倒的な支持があるため選挙には強いわけだが、「いくら気に食わないからといって、混乱が長引いているからといって、こんなことがまかり通っていたら民主主義はおしまいだろ!シビリアン・コントロールはおしまいだろ!」と教条的なことを思ってみたりする。
少なくともタイは東南アジアの中では先進的かつ民主主義的な国だと思っていただけに残念である。
とはいえ、日経新聞によると「タイはもともと『独裁的温情主義政治』(政治学者タック・チャルムティアロン氏)の伝統がある。徳のある人物が国民に不満がないよう統治すれば、民主的でなくとも構わないというものだ。」とあり、その辺の事情や、国王の承認があったことから受け入れられたのだろうと思う。
リークアンユー氏の「開発独裁」や、マハティール氏の「アジア型民主主義」など、確かにアジアの国々には全体の利益にかなうのであれば多少は自由が制限されても構わないという考え方の国がちらほらと存在しているわけで、総合的にそれが良いとも悪いとも私にはわからない。
いつもながら思うのだが、タイ国民の国王への敬愛ぶりは半端ではない。
私が6月にタイに行った時にバンコク市民の半分ぐらいは国王への敬愛を表す黄色の服を着ていたが、クーデター時における市内の映像でももちろんそうであった。
国王が承認したことであれば無条件で聞き入れる土壌がこの国にあることは絶対的に確かである。
それが民主主義的であろうとそうでなかろうと構わないというコンセンサスがタイ社会にはあるのだろう。
もちろん、米欧諸国はこういった考え方には強い批判を浴びせるのだろうが…。
ところで、現在のチャクリー王朝は、気が狂ったトンブリー(タークシン)王朝のタークシン大王を処刑したチャオプラヤー・チャクリー将軍が興した王朝なので、「この名前の人はクーデターに遭うのかな?」とくだらないことを思っていたのだが、これまたウィキペディアによると、「タークシン」と「タクシン」では綴りが違うと書いていて関係のない話であった。
ちなみにウィキペディアには、「クーデター」についてこのように記述がされている。
権力者内部の少数グループ(軍部など)が武力による迅速な襲撃で政府の実権を握る行為。
より大きなグループによる反乱や政治的意図から体制を変革する革命とは異なる。