GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

僕におけるシンプルライフへの憧れ③

利害関係がない場合に、私にとって必要な人間関係とそうでない人間関係を決める場合、その方法はかなりシンプルである。

 

私にとって必要な人間・友人かそうでない人間・友人かを分けるポイントはズバリ、その人とサシで飲みに行けるか、行く気がするかどうかということである。

相手が女性の場合はサシでのお茶が判断基準となる。

 

また、飲みに行かなくてもメールなどで、混み入った意見の交換ができる場合は必要な人間とみなせるものと思っている。

そして、意気投合するのに出会った回数はそれほど関係ないとも思っている。

また、徹夜でサシで飲める仲であったらその人間関係は本当に必要な人間関係であるともいえる。

 

これらのことができないような人間関係は本来不要と言って差し支えないと思う。

とはいえ、自分の周囲に目をやるとサシで飲みに行く気になれない人の多いことよ…。

 

サシでは飲めない人ばかりだけど大勢でワイワイするのは楽しいという飲み会というのはよくありがちである。

そして、何十年も先を見据えると大勢でワイワイするコミュニティってのもなんとなく長続きしやすそうな気もするからこのようなコミュニティもバカにはできないような気はする。

しかし、真剣に煎じ詰めて考えるとこんな人間関係は同窓会ぐらいで十分なのであって、他にわざわざキープしておく必要はないのではないかと思う。

 

私は昔からグループ友情があまり好きではなかった。

どちらかといえば、友人とはグループを形成せず、サシで仲良くなることが多かった。

グループに属するとグループの行動原理や行動規範に自分を合わせなくてはならなくなりそうだと思っていたし、昔から変人だし、人に合わせるのが大嫌いだったので、意見をぶつけ合わせることのできる1対1、もしくは、3人程度までの輪が好きだったのである。

何より、グループに属すると、グループの中に1人や2人はあまりウマの合わない人がいるもので、義理で彼らと合わせなければならないという状況がとても苦痛に思えた。

だから、私は自分の友人を人に紹介しないし、私の友人と私の友人の面識があることはほとんどない。

今のところ全くする気がないが、私が結婚披露宴でもやろうものなら、周囲に口を聞く相手がいないという人ばかりになるので大変危険である。

 

ところで、私は自分よりよくしゃべる人が自分より偉い場合や、心理的に自分の居場所がなさそうな飲み会においては、借りてきたネコのようになってしまう。

その反面、自分に居場所がある飲み会の場合では本当によくしゃべる。

しゃべることができる時はしゃべり、そうでない時は借りてきたネコのようになる。

要は、自分の土俵でしか相撲が取れない内弁慶な人間なのである。

そんな人間には自分の土俵以外の土俵は必要ないだろう。

 

とはいえ、利害関係がある場合、そんなことをいっていられないから、コミュニケーション力を上げる必要があるとは常々思っている。

 

無駄な人間関係を整理し、本当に必要な人間とだけ長期間に渡って仲良くしていくことはシンプルライフにとってとても大事な要素なのではないかと思う。

でも、人生を通じて仲良くしようとは思っていない人からでも、誘われるとついついうれしくなって顔を出してしまう自分がいるんだよな~。

それに、意気投合して仲の良い友達になれる人との出会いというのは大事にしたいと思う。