格差社会だの下流社会だのというキーワードが流行っているが、私のような下流もいいところな人間にとっては「仲間が増えた」というぐらいにしか思えない。
しかし、「下流でも心豊かに生きねば…」とはつとに思う。
森永卓郎氏の「年収300万円」ではないが、最近、「自分にとって必要だな…」と思うのは、貧乏くささやひもじさを感じないほどに無駄を省いた生活をすることの必要性についてである。
サラリーマンじゃないからいつコケるかわからないという不安を背負って生活する者にとって「耐窮性」は必須項目だと思うのだ。
特にお坊っちゃん育ち&これまであまりそういうことを考えずに生きてきた私にとってこれはこの上ない必須項目である。
「下流でも心豊かに生きねば…」という目標には、下流&負け組人間ならではの負け惜しみが全くないとはいえないかもしれないが、「贅沢をしなくても心豊かに生活をできる人間になりたいし、そうでありたい」という思いは強い。
「贅沢できることにこしたことはないのだろうが、贅沢しなくても豊かさを満喫できる強さにはかなうまい…」と思う。
「年収が1,500万円を超えたら豊かになっても豊かさと幸せは比例しなくなる」とはよく聞くが、「貧しくても富裕層と同じような心的豊かさを持てる人間になれれば怖いもの無しだな…」と最近は心から思う。
そのために、すべての出費に対して本当に必要か不必要かを判断せねばなるまい…。
以下、セコいけど私の場合についてちょっと考えてみた。
これぐらいの我慢であれば心の豊かさには影響ないと思う。
- 今のところ必要
→ 新聞、携帯電話、インターネット環境 - 不要かな?
→ 日経CNBCと格闘技番組を見るためのケーブルTV - 長期的には検討したほうが良いのかな?
→ それなりに払っている家賃および不動産は賃貸でいくか購入するかの選択 - 悔しいけど不要とはいえないもの
→ 洗髪やスタイリングなどの無意味なことに時間と金をかけるのは悔しいが美容院代、たまに買う洋服代 - 不要なもの
→ 無駄な光熱費、無駄な飲み代、無駄な外食、小さい無駄な買い物 - メリハリが必要なもの
→大好きな旅行や格闘技観戦やミュージカル鑑賞には本当は行きたいけど、冠婚葬祭が多い時期にはそんなこと言ってはいられまへん - 無駄は禁物なもの
→ いくら本が好きでも簡単には買わず、速報性がそれほどいらない場合は、古本を買ったり、図書館で借りたり、文庫化するのを待つ、もしくは立ち読みする - セコいけどがんばれ!
→ ペットボトルに家の浄水器の水を入れて持ち歩く - これからも不要
→ 東京在住の場合の自家用車、自分にご褒美系のサービス - 将来
→ 所有よりレンタルが安い場合はレンタルする、子供の教育に無駄な金はかけず手間をかける
本当にくだらない私事ばかりを書いてすみません…。