私は、日本人旅行者にとっても外国人旅行者にとっても日本の良さというものが主に日本情緒だけにあるとは思わない。
京都の社寺のようにそのモニュメント自身が圧倒的な力を持っていれば別だが、およそ街並みというものに目をやると、日本情緒を残す界隈が生活観を漂わせて存在しているのであればともかく、その実は日本情緒を演出しているだけにすぎない観光地というのが意外に多いような気がする。
先日私が山陽地方に行った際に尾道や倉敷に行ったが、「倉敷より尾道のほうが私にとっては魅力的に感じた」と言えば、私がどういったことを言いたいかわかっていただけるだろうか?
一見情緒があるように見えても、観光用に作られた地域や生活に根ざしていない地域に対して、私はそこまで感動しないことが多い。
少なくともそこに圧倒的にすばらしいむき出しの歴史があるか、生活に根ざしたものがないとそれほど感動はしない。
私が尾道や函館が大好きなのは、そこがステレオタイプな日本情緒が存在していない街だったとしても、生活感が織りなす雰囲気に強い色気を感じることができるからである。
国内観光客の視点に立てば、観光地をわざわざテーマパーク的な日本情緒で演出しようとするよりは、その街の持つ色気というものに着目をしたほうが良いように思うし、外国人の視点に立つのであれば、「実は日本のどういう面が外国人から注目されているのか?」という面について調査・分析したり、「外国の人が日本をどう誤解しているか?どうやったら誤解が解けるのか?」ということについて調査・分析をしてから観光政策・広報政策を立案していったほうが良いように思う。
私は、既に日本情緒を失った日本橋を無理してテーマパーク化しないほうが良いようにも思えるし、残念ながら日本橋界隈にそれほどの色気を見出すことはできないように思う。
むろん、無国籍のオシャレな川辺にするのであれば何も大金を投じてこの界隈をそういった川辺にする必要はないと思う。
しかし、もちろんのことだが、日本橋に空を取り戻す事業は外国人などのためにではなく日本人のためにやる事業である。
1911年建立の江戸情緒も何もあったものではないこの橋をして「世界的名所」というおよそ分不相応な言葉が出てきたものだから思わず小バカにしてしまったが、旧街道や国道の基点となるモニュメントとして日本橋はそれなりに大きな意味を持つのではあろう。
しかしながら、例えば、六本木ヒルズの建築費は2,700億円(土地評価額を含めると4,700億円)なのだという。
そう考えると、「日本橋に空を取り戻すことが、3,000億円~5,500億円ものお金をかけてやるべきことなのだろうか?それだけの金があればもっと別なことに使えないのだろうか?」と思わなくはない。
次回は怒涛の最終回へ!
空があるにこしたことはないが…