GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

私のトラウマ的な女性観の打破を図る…③

まず、始めに断っておきますが、この回以降は本当は女性には読んで欲しくないです…。

私の深層にある醜い心理をえぐった内容なので…。

 

…で、本題に入る。

 

自分はフリーの時に女性と遊ぶだけ遊んでおいて、いざつき合う彼女を選ぶ時には、「軽い女だけはごめんだ!」と処女性のようなものを重要視してしまう志向があった。

恋多き女」や、「恋愛至上主義」な女や、ミーハーな女というのがどうにもこうにも許せなかったのである。

 

そして、年を重ねても、この古典的な規範を頭から払拭できずに困っているのだが、最近はこの思い上がった考えを払拭しようと努力しているところである。

 

それで別に何のメリットがあるというわけではないが、最近、後天的に自らで形成してしまった、自分の中の道徳律や規範の総点検をしていて、その一環としてこういった努力をしているところなのである…。

とはいえ、男女の問題以外の道徳律や規範というのはある程度しっかりとした信念を持っているのだが、男女関係のこととなると難しい。

 

前回に述べた遊びの時期に、遊びのつもりでいた女性につい感情移入してしまってとうとうつき合うことになったのだが、つき合った後に、「なんでお前はあの時、簡単に俺にそそのかされたんだ!」と、当時の彼女を強くそれも長期間にわたって罵倒し続けた…。

 

「私はあなたのことをずっと好きだったから…」と言われても、「おまえは好きな男になら、つき合ってなくても簡単に身を許すのか!」「何で俺にとってはお前が最初の彼女なのに、お前にとっては俺が最初の彼じゃないのだ!ふざけんじゃねえ!」などとふざけたことを言い出す身勝手ぶりなのだからたまらない。

 

しかも、「何で、お前は俺以外の男と男性経験があるんだ!」と、まるで、「俺とつき合う女性はすべて処女でなくてはならない!」と言わんばかりのことまで言った記憶がある。

でも、処女であるかどうかはともかく、何故、過去に自分以外の男とつき合ったり関係を持つことがいけないことだと思ってしまったのだろう…。

しかも、自分がやってきたことについては全く省みないで…。

 

それに、当時の彼女の経験人数は多くなかったし、向こうにとっては私は遊びのつもりではなかったのだから、それで”めでたしめでたし”なはずなのである。

 

そして、この彼女とつき合って2年3ヵ月経ったときに、私が今の彼女に心を奪われて、とうとう今の彼女とつき合うために別れることになったのだが、別れる瞬間にも前の彼女のことも今の彼女のことも両方とも大好きだったから気が狂いそうなぐらいに苦しんだ…。

もちろん彼女はもっと苦しんだし、今の彼女も苦しんだ。

 

今の彼女には私のほうから猛アタックをかけてつき合ってもらったのだが、とても身が固そうで、実際に珍しいほどに固かったところに強く惹かれたのは事実である。

 

しかし、何故に私は女性の身が固くなければ納得できないのであろう…。

女性のほうにだって、選んだ男性に対して能動的・解放的にアプローチをかける権利があるわけだし、実際にそうする女性も多い世の中である。

 

また、恋人がいない場合、男が女性のことを考えるよりも、女性が男のことを考えている場合が多いのは、外見にかける情熱ひとつとってみても、私の経験則的にも間違いないのだから、むしろ、女性のほうこそ恋を積極的に楽しんでしかるべきだともいえるのである。

 

まあ、女性特有の「待ち」「受け」の恋も楽しいのだろうとは思う。

一般的にだが、彼のいない女性ってのは、年から年中「どうやって男にモテるか」「どうやって意中の男を振り向かせてアプローチをかけさせるか」について周到に考えていることが多いわけで、相手の気持ちを汲む間もなく我慢ができずにダメ元&戦略も練らずに単刀直入に踏み込むあさはかなバカ男どもと違って、その計画性・忍耐力ともに壮大なものであるのだ…。

 

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