GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

秋葉原からこんにちは…

FROM秋葉原

 

 

 

 

先週の金曜日になんとなく「変貌を遂げた秋葉原」とやらに行ってみたのだが、確かにちょっとスマートな界隈が増えていた気がした。

ところで、左はその時に街中で見かけた光景である。

お恥ずかしながら一眼レフを構えた方々に混ざって撮影してしまいますた…。

 

また、偶然に、群れの中をウロウロとしていた知り合いを発見して、「こんなところで、何やってんの!」と言ったら、「メイド喫茶を探してるんですけど知りませんか?」と聞かれた時にはかなりウケてしまった。

 

とはいえ、wmask先生とヒポクラ師と固い約束を交わして行ってみることを誓ったメイド喫茶にはいずれは出陣しなければならないのだが、「現地の方々と同化することに強い嫌悪感を感じてしまうようでは俺もまだまだ甘いな…」と思ってしまった。

と同時に、「この人たちに優しくすることなんて無理だから俺にはメイド喫茶はできないな…」ということも悟った。

 

嫌悪感といえばこんなエピソードがある。

 

家に帰ってきて思い出したように、ハードディスクに録りためてある「電車男」をとっくに最終回が終わっているのにも関わらず見始めた。

私は2ちゃんねんる的なものが大嫌いだし、原版も数分で見るのをやめたぐらいなので、あまり気が進まずに見ずに放っておいたのだが、ウチの彼女が「超おもしろい!」と言うものだから見てみることとした。

 

ただ、第2話まで見たのだが、ただただイライラするばかりで全くおもしろさを感じることがなかった。

「心の底からつまらん!どこをどうおもしろく感じることができるのかについてメカニズムが根本からわからん…教えてくれ!」と言ったら、「じゃあ見なくていい!全部消す!」と言われて小競り合いになった。

 

ちなみに、ウチの彼女は、「タイガー&ドラゴン」や「電車男」のようなドラマが好きで、「世界の中心で、愛をさけぶ」のような白血病という使い古されたネタのドラマや、「H2」のような青春ドラマが大嫌いなのだが、セカチューなんかでは毎回ハンケチが手放せなかったことをバカにされていたわけで、「人間には二通りの人間がいるんだろうな…」と思った。

 

しかし、ここまで全くおもしろいと思わないのは私だけなんだろうか…。

普通、大逆転劇ストーリーには痛快さというものがつきまとうはずなのだが、ただただ不快なだけで全くそういった感情を持てない。

「ありがとうおまいら」などという訳のわからん日本語を目の前にするだけで虫唾が走ってしまうのである。

まあ、2話だけで判断するのは間違っているから、もうちょっと見てみようとは思う。

 

話は変わる。

今の世の中というのはメールやブログの影響もあって、日本の歴史上で最も国民が文章を書くようになっている時代だという。

そのためにいくぶんか平均的な文章力が上達している…というようなことを書いた記事もどこかで目にしたことがある。

 

とはいえ、私は、特攻隊に出陣する前の若者の遺書や手紙を目にしたことがあるが、おそらくは私より若かったであろう方々が遺した文の美しさや字の上手さにただただ圧倒された記憶があるが、あれを思い出すとそんなことは到底信じられない。

 

2ちゃん語」に代表されるような変な日本語がはびこったり、ろくに推敲されていない文をみるにつけ、余計にいらだちを覚えてしまうのみである。

まあ、人のことはあんまり言えないのですけども…。

 

顔文字も使い方によっては効果的だし、多少は文を崩して使うことで文の内容をおちゃめなものにすることができるであろう。

私も、「…しますた」「…ですた」「…でつ」というヤツだけはなんとなく使ってしまう。

特に、「…でつ」は、「でつ」の部分を良く見るとスヌーピーに似ているというウワサが広まってからは使わずにはいられなくなっている。

しかし、崩しを使う場合は、読み手のことや、崩し方の程度についてきちんと考えた上で使うべきだと思う。

 

ブログごときでこのようになんのひねりもないことを言うようなことはしたくないが、あまりに日本語が乱れているので思わずグチを述べてしまいました。