JR西日本福知山線の運行が再開されたが、新聞を読むところによると、いまだに怖くて電車に乗れないという被害者もいるようだ。
昨日の日経新聞の夕刊にはこのようなことが書いてあった。
額や足をケガしたある女性は「一生速い乗り物には乗れない…特にJRの電車には乗れない」と思って、自宅から通っていたのを辞めて大学の近くで一人暮らし始め、大学には歩いて通っているそうだ。
就職活動はどうするのかなぁ~?
首や背中を痛めたある男性はいまだに出勤は一日おきで、しかも、通勤にはタクシーを使っているそうである。
その費用は自腹なのかな~?
また、軽症だったある男性はいまだに会社を休んでいるのだそうで、もちろん電車にも乗れないのだそうだ。
あれだけの事故だと軽症でもそうなるものなんですかね…。
仮に、重度のPTSDなどによってこれからずっと電車や速い乗り物に乗れなくなってしまったのだとしたら、いくら賠償してもらっても足りないほどの大ダメージを人生において負ったことになるわな…と強く同情してしまう。
それとは逆だが、電車に乗れずタクシーには乗れるなんてそんなに都合の良い心的障害ってあるんかいな…などとちょっと意地の悪いことを思ってしまったりもする。
とはいえ、私は専門的なことを何一つ知らないのだが、確かに、こういう事故にあったら、乗り物全般でなくとにかく電車が怖いというトラウマを抱く部分はあるのだろうし、それはわかるような気がする。
しかし、人間は他人や世間から不憫に思われると、とことん自分を不憫でかわいそうに思うようになってそのような自己暗示をかけてしまって自立が遅れるという面も少しはあるように思う。
他人ごとながら、「一日おきに出勤できるのなら、何故、毎日出社できない?」と思うし、「電車より車のほうが確率的には断然危険だとは思わないのかな?」などとも思ってしまう。
まさか、「タクシーに乗り慣れて今さら電車なんぞ乗れるかい!」「一日おき出社に慣れて毎日会社なんぞに行ってられるかい!」っていうわけでは絶対にないだろうしなあ…。
このたびJR福知山線が再開したことによって、この事故に対しての世間における風化は加速的に進むことになるであろう。
世間というものははじめこそ同情してくれるものの、この上なくもの忘れが早い。
残念ながらというかどうしようもないが、事故に遭われた方は、自分で自分を支えない限り、自分が苦労をすることになるのだから、これからは、より自発的かつより孤独な努力が求められるようになるわけで、これからもさらに厳しい日々を迎えることになるのだろうな…と思った。
このことは震災や事故のニュースのたびに思ってしまうことでもある。
また、何で再開するまでこんなに時間がかかったんだろう?とも個人的には思ってはいる。