シリーズ最終となる。
以下は前々回と前回である。
ヨーロッパの多くの国では、最大多数の最大幸福を追求することがある程度社会のコンセンサスを手にしているためか、一般的に高負担社会が許容されている。
もちろん、それは日本のように「勤労者=負担者」「高齢者=受益者」という住み分けがなく、勤労者も高齢者も未成年者もすべて負担者であり受益者となるシステムができているからということがその大きな理由となっているとも聞く。
それでいながら高負担で有名な北欧の国々は経済でもすこぶる好調だというのだからお見事としか言いようがない。
世界経済フォーラムの世界競争力報告によると、9位の日本より上の国は、アメリカを除くとすべて社会負担率が日本の45%強より高い。
競争力首位のフィンランドは65%弱、5位以内に入ったスウェーデンとフィンランドは75%に近い。
私はここまでの高福祉国家にはなって欲しいとは思わないが、十分に参考になる結果ではあると思う。
ところで、ヨーロッパではスローライフ的とも質実剛健ともいえる暮らし方が生活に根づいているというが、パリのディズニーランドが不調なことなどからもわかるように、彼らはテーマパークで行列を作って遊ぶような遊び方や金銭消費型の遊びを好まず、例えば、安いコテージに泊まってバカンスにいそしんだり、自然の中でゆったりと過ごす時間を持ったりするような遊び方に価値を置く人の割合が一般的に高いという。
また、例えば、オーストラリアやアメリカがオリンピックであんなに強いのはスポーツをする習慣が国民に根づいていて、スポーツの裾野がものすごく広く、誰もがスポーツを楽しむ生活を送っているからだというが、日本はオーストラリアやアメリカはもとより、ヨーロッパあたりと比べてもなかなかそうまではいっていないように思う。
なお、ヨーロッパでは宗教や地域のコミュニティーの結びつきの強さも日本より強いというが、その辺も人を幸福にするために作用しているように思える。
高負担社会やスローライフという価値観から見ても、彼らがいかに貪欲に幸せを追求しているかがわかろうかというものである。
1位から9位を占める旧ソビエト圏の国を別にすれば、自殺率が圧倒的に高い日本人はその辺について深く考えるべきであろう。