GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

アメリカ社会における格差の是非

私は貧乏人だが基本的に「保守」の立場を支持することが多く、「リベラル」という言葉には多くのアメリカ人と同様に良いイメージを抱かない。

 

努力をすれば成功者が大きく報われる資本主義を否定したくはないし、何より、成功者から搾取しようという思想が私は大嫌いである。

しかし、搾取は嫌いだが、分配の不平等に対しては多くの方と同様にアタマにくるタイプでもある。

 

ところで、アメリカにおいては、少数のアメリカンドリーム体現者がいる傍らで、多くのアメリカンドリームの非体現者がいる。

移民を受け入れていることや多民族国家であることを多少は考慮できなくもないが、アメリカの貧困層の現状は先進国の中では最も悲惨である。

 

また、一人の金持ちが一国のGDPを普通に上回るような状況が数多く起きているが、いくら才能があるからといって、ここまでの格差が生まれることや、ここまでの格差が許容されることがフェアなことだといえるのだろうか?

 

確かに、「所得と能力」は比例するかもしれない。

グローバルかつテクノロジーが進化した今の世の中においては、一人の天才の力で世の中が大きく変えられることがある。

しかし、「所得と質を抜きにした仕事の量」は比例しているといえるだろうか?

 

例えば、「ビル・ゲイツ氏の1分は単純労働者1日と同じ仕事量である」というようなことが厳密に言えるのであろうか?

私にはどうしてもそうは思えない。

また、ここまで格差が生じることが“最大幸福”につながるとはとても思えない。

 

したがって、ここまでの格差が生まれることは、どのような理由があるにせよフェアであるとは思えない。

 

才能がある者が報われる社会というのが資本主義社会である。

そして、それに抗議し、修正を促す形で、共産主義ケインズ主義・福祉国家などといった概念が生まれたわけだが、特に福祉国家の概念は現代の資本主義に欠かせない概念となっている。

 

要は、国家の政策としては、どの程度、福祉国家的な政策を取り入れるかについての程度を問われているだけにすぎないわけだが、アメリカの場合は医療の問題などからみても明らかに福祉が充実していないほうに行きすぎであろう。

 

労働はクリエーティブな労働とマニュアル労働に二分化されていて、よりやりがいがあるクリエーティブな労働をしている側が多くの収入を得ており、また、嫌な仕事はメキシコ系の移民などがこなすという構図を見ていると、自暴自棄になって犯罪に走る人が多いことと因果関係がないとはとても思えない。

 

アメリカには多くの成功者の影に、絶望的な状況に追い込まれている人間が数え切れないほどいるのである。

そして、彼らは自分の子供に満足な教育を与えることができず、その連鎖は延々と続いているわけである。

 

「だから何が言いたい?」と言われればそれまでだが、私は、保守主義自由主義的価値観を支持するが、それでもアメリカは行き過ぎだと思う…それだけである。

日本社会の閉鎖的なところや競争がアンフェアなところは大嫌いであるが、アメリカのような社会になって欲しいとも思えない…。

まあ、身分制が色濃く残る社会よりは過度な実力主義の社会のほうが断然マシだけど…。

しかし、敗者復活のシステムや転職してもキャリアアップできるシステムが機能している点については日本も見習わなくてはならないと強く思う。