役所による規制は品質を一定水準以上に保つためという目的には一定の役割を資することができたであろう
しかし、世の中には何が言いたいのか意味がわからない規制のために多くの非効率・矛盾が生じている。
もはや、されつくした感のある議論ではあるが、いつまでも良くはならないままである。
なので、挙げてみてもしょうがないのだが、その一例を軽く挙げてみたいと思う。
- 美容室と理容室の営業に関して、管轄省庁が違うことや、営業範囲の違いがあるのは明らかに合理的でない。そもそもは、「美容室=女・理容室=男」というキメがあったそうなのだが、役所にそんなキメを作ってもらっては困る。
- ビールと発泡酒の税率が違うのもおかしい。確かに、発泡酒の売り上げが増えると発泡酒の税率も上げようとする国の姿勢は姑息すぎるが、そもそも、このようなくだらない法律に翻弄されて本当に美味しいほうを飲めなくなることのほうが不幸であろう。
- 宿泊施設におけるホテル営業・旅館営業・簡易宿所営業それぞれにおける、意味がないと思われる部分についてまでの規制の細かさが日本における宿泊施設の高コスト体質を作っている。
また、この規制が宿泊施設というものに対して固定した概念を押しつけており、多様な業態を生めなくしてしまっている。
また、あらゆる許可営業に関してだが、管轄役所の裁量が大きすぎ、申請するほうは役所に何度も懇願しなければならず、ロスが大きすぎる。 - 酒屋や薬屋を保護する法律は長いこと機能してきたが、そのせいでこれらの業界においては自助努力がなされてこなかった。しかし、これらの販売が自由化されるにつれ、特に酒屋の廃業・オーナーの自殺等が相次いだのだが、これは国家による犯罪ともいえないだろうか。
- 公共事業も同様である。
国家が公共事業を必要以上に行なってきたため、建設業でご飯を食べようとする人・地方が増えた。
そして、必要以上に行なってきた公共事業の量を減らさざるを得なくなったわけだが、そのために多くの雇用者があふれ、多くの地方が没落した。これも国家による犯罪だといえるだろう。
このように、合理的でない規制や昔に設けられた規制に世の中が翻弄されるのは見ていて不快であり、時代に即して変化させないことは大きな罪であると強く思う。
っていうか、されつくした議論をここで挙げてすんません。