GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

投資を学ぶことの重要性について…

まず、どーでも良いが、「こんなに好き勝手に物事を書いているくせに顔もさらさんようではマズイかな…」とちょっと思ったのだが、「どうせ無職野郎だから何の心配もないし…」ということもあって、顔写真を載せてみた。

 

…で、本題だが、専業の株式投資デイトレードのワザは「手に職」として身につけるに足るかということと、投資の重要性について思うところを書いてみることとした。

 

私は、「資金とインターネット環境の整ったPCがあれば、世界のどこにいてもお金を儲けることができるという意味でデイトレードをはじめとする株式取引はかなり有効な『手に職』とも言えるかな?」と思い、人生におけるモラトリアムともいえる今の時期を株式投資の勉強にあててみている。

まあ、今は20代後半の大切な時期であるうえ、モラトリアムは大学時代に続き2度目なのだが…。

 

とはいえ、もっと割の良い「手に職」はいくらでもあるだろう…とも思う。

しかし、ここはこのように考えるようにしている。

 

誰しも多くのキャッシュを手にしたら、投資の勉強を事前にしてあろうと、投資の勉強をしていなかろうと、仕事が忙しかろうと、仕事が暇であろうと、否応無しにそのキャッシュを有効に運用する必要性に迫られるであろうことは言うまでもないだろう。

また、「利子・利回りを受け取る側」と、「消費に対する利子を支払う側」のどちらの側に立つかが人生を経済的に楽なものにできるかどうかを左右し、そして、利子・利回りの受け取り方がより上手なほうがより楽になることができると私は常々思っている。

そのため、「人生のどこかの時期に投資の勉強をしておかなければなるまい…」と思ったのである。

 

「金持ち父さん貧乏父さん」を著したことで有名なロバート・キヨサキ氏は、「自らの労働によってお金を生むサイクルを脱し、お金自身もしくは他人による労働=不労所得が生み出すお金が生活費を上回るようになった状態」のことを「ラットレースを抜け出した状態」と表現しているが、ラットレースを抜け出すため、また、ラットレースを抜け出した後にこそ、投資・運用能力が重要性を帯びてくるのである。

 

もちろん、これらは、そもそもまとまったキャッシュを手にしなければ余計な心配となるので、「捕らぬ狸の皮算用」的な考えでもある。

 

ただ、遠大な自分の人生観より、自分の所属する企業の目先の利益に振り回される“働き蜂”になっていては、そのような指針に基づいて一貫した行動を取ることが難しいということはサラリーマン時代にずいぶんと味わった。

仮に会社の都合に左右されない人がいたとすれば、そういうこともないのだろうが、そういう人は会社では「協調性がないヤツ」と呼ばれたり、変わったヤツとして扱われる可能性が高いと思うのだが、私はそこまで尖っていない性格なので、到底そのようには振る舞えなかった。

 

だから、今、私は投資を学んでいる。

 

…と、このように今の状況を合理化できなかったら、リスクの大きな個人投資の世界において、投資に失敗して大損したときや、「自分の日々の活動って社会の為にどれほどの役立っているのかな?」って素で思ったときにヘコむであろうと思うのでこのように考えている。

でも、こんな感じだから、起業するために会社を辞めたのにもかかわらず、いつまでたっても、このぬるま湯生活から抜け出せないんですよね~。

 

でも、この世界にいるからこそ見えてくる世界や俯瞰せざるを得ない世界があることもこれまた確かで、そういう面では今の生活って本当に勉強になっていると思う。